書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

美しい不穏 ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』

 一緒にしなくていい、とピノチェト軍人が言った。一緒に来たまえ。あとについていくと、屋敷の裏の庭園を望むことができる大きな窓があった。満月の光がプールの滑らかな水面できらめいていた。将軍は窓を開けた。我々の背後から他の将軍たちがマルタ・ハーネッカーについて話すくぐもった声が聞こえてきた。花壇からは実に芳しい香りが立ち上り、庭園中に漂っていた。一羽の鳥が鳴き、すぐに同じ庭園あるいは隣の庭から、同じ種類の別の鳥がそれに応えた。そのあと、夜のしじまを破るような羽ばたきが聞こえ、やがて何事もなかったかのように深い静けさが戻ってきた。歩こう、と将軍が言った。まるで彼が魔法使いであるかのように、我々が大窓を通って魔法の庭に足を踏み入れるやいなや庭園の照明が点り、四方八方にちらばる明かりは趣味がよく美しかった。(『チリ夜想曲』pp.105)


 今回紹介したいのは、ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』(白水社、2017)だ。

チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)

チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)

 パラパラとめくれば分かるように、この中篇作品ははじめから終わりまで「改行が一度もない」。だから、場面転換や、主人公の妄想や錯覚に近い幻覚がたびたび起こっても、どこでそれが入ったのか、気付きにくい。一人の主人公の半生が語られているだけに、場面は展開していくが、そのことを文章レベルではあまり教えてくれない。
 作中には、エルンスト・ユンガーなどの実在の小説家も登場する。おそらく仮想の人物と、こうした実在の人物が混ざった、ボラーニョ特別の手法だ。

 主人公は、「死」の予感にまさに立ち会おうとしている。だから死ぬ前の「告白」を行っているのだが、それだけに不穏な緊迫感がいつも漂っている(改行がないのもそれを手伝っている)。解説の小野正嗣さんが書くように、一体どんな過ちを犯して告白しようとしているのか、というかどんな罪の意識があって告白をしようとしているのか、本作のストーリーを読むだけではよく分からない。だけど、いっつも不穏な空気が流れている。語られていることに、何かとんでもなく不吉なことがあるんだと読者は思わされる。それがすごく心地よい(集中が切れない)。
 文章も美しいものが多かったので、幾つか引用しました。 祖国チリに向けた、ボラーニョ自身の最後の愛情みたいなものがあるのかもしれません。

 それから、彼女なりに落ち着き、穏やかで勇敢な面持ちで辺りを見回すと、自分の家と玄関、かつて何台もの車が停めてあった場所、赤い自転車、木立、舗装されていない道、フェンス、わたしが開けた以外は閉ざされている窓、遠くに瞬く星を見、そして、チリではこうやって文学が作られていくんだわ、と言った。わたしは軽く頭を下げると、そこをあとにした。サンティアゴに帰る道を車で走りながら、彼女の言ったことを考えた。チリではこうやって文学が作られていく、だがそれはチリだけでなく、アルゼンチンでも、メキシコでも、グアテマラでも、ウルグアイでも、スペインでも、フランスでも、ドイツでも、緑濃いイギリスでも、陽気なイタリアでも同じことなのだ。文学はこうやって作られる。文学、あるいは我々がゴミ捨て場に落ち込んでしまわないために文学と呼ぶものが。(『チリ夜想曲』pp.143)

 そのあとには、糞の嵐が始まるのだ。(『チリ夜想曲』pp.146)

世界一の感性作家――『アナイス・ニンの日記』

 わたしは嘘で身をくるんでいるが、それらの嘘に魂を射貫かれることはない。わたしの嘘は他者の不安を鎮める「生の嘘」であり、わたしの一部になることはないというように。衣装のようなものだ。(pp.215)

 わたしが興味をもつのは核ではなく、その核が増殖し、無限に広がる可能性だ。核の拡散。しなやかに跳ね、跳ね返り、分裂する。広がり、覆い、空間を貪り、星をまたいで旅する――いっさいは核のまわりとあわいに。(pp.247)

アナイス・ニンの日記

アナイス・ニンの日記

 ここに紹介するのは『アナイス・ニンの日記』(矢口裕子編訳、水声社、2017)だ。ニンの日記の経緯からいうと、日記は『初期の日記』(第一巻)~第四巻までと、『アナイス・ニンの日記』第一巻から第七巻まで、実に六〇年以上に渡って記録・記載されたニンの人生そのものである。総ページは四万頁を軽く超えるという。それらの日記を編集し、訳しわけたのが本作ということになる。「アナイス・ニンの日記」と題された邦訳の既出本はいずれかの訳出であり、特に「アナイス・ニンの日記 第二巻」以降の訳出が今回初めてとなっているという(訳者解説より)。

 アナイス・ニンは、彼女自身が神秘のベールをまとった「水面下の存在」であった。そのあまりに華麗な美貌とスタイルも彼女の幻惑的な魅力を伝えているが、ニンは長らく躊躇っていたこの日記を出版することによって初めて日の目を浴びたそうである。それらの生々しい感覚と声が日記に綴られているのも本作の魅力だろう。
 とは言っても、日記以外にも彼女の小説はたくさん存在し、それらがどのように流通し、誰に読まれ、誰によって評価されたかなども、ニン自身の手によってこの「日記」のなかに軽やかに報告されている。
 『日記』に出てくる、あまりに豪華で巨大で劣悪な登場人物ときたら! ヘンリー・ミラー、アントナン・アルトーロレンス・ダレル、著名な精神分析家たち、そして江藤淳大江健三郎といった日本の作家も、ニンが老後で日本に旅行にきた際にちょこっと登場するのだから面白い。
 なかでも、ヘンリー・ミラーと彼の人生を大きく狂わせた(いい意味でも悪い意味でも)ジューンという女性とは、男女の三角関係、といってもニンは二人にとってあくまで良き友人として三人の親友関係を結んでいる。ジューンは途中で姿を消してしまうが、ヘンリー・ミラーとは長い親交を生涯にわたって結んでいる。結果的に言うと、ミラーの方が成功をはやくにおさめた。しかしそのミラーでさえ、売れてしまうと、かえって売れなかった頃の良き時代を思い出す始末……ヘンリーとアナイスがどこまでいってもお互いを尊敬し、尊重し合うという稀有な友情関係にグッとくるものがある。

 ニンは性と幻想に囚われていた。それは『日記』を読めば分かることだと思う。作品に書いて昇華せしめようとした動機づけもあれば、何人もの精神分析家に会って、結局彼らから恋された挙句、精神分析家自身を精神分析してあげるというわけのわからない展開も繰り返している(苦笑)。
 アナイス・ニンはどこまでいっても魅力の絶えない素晴らしい人だと僕は思った。というか誰でも思うに違いない。ここまで人格が整っているからこそ、作品でイマイチだったのかもしれないということは、本人が日記の中で書いていることである(どこだったか思い出せないけど)。ニンの感性は随一である。随一であるからこそ、ジューンの狂気にも同感できるし、ヘンリーの男性的暴力のことも理解できる。理解度が高すぎて、現実世界で色々気苦労を使ってしまい、それらの成果はすべてこの日記に捧げられた…… 『日記』は万人の喝采を浴びて当然である。

 本当に美しい。飾らない、それでいて何度も華麗な爆発を起こすような、そんな文章がある。それがアナイス・ニン、世界一の感性の作家だと思いました。

 よろこびと、いきいき生きることに、再びめざめる。太陽。ぬくもり。えもいわれぬ幸福感。お風呂に入る。水に触れるよろこび。白粉。香水。イタリア製のドレス。そこにいるのは誰? ドアを開けてちょうだい。家中がお祭り気分、歌っている。モックオレンジとスイカズラの香りがいっぱい。(pp.260)

 パンドラの箱とは、女の官能性をめぐる神秘のことだと思う。それは男とまるでちがうものだから、男の言葉で表現することはできない。セックスの言語はまだ発明されていない。感覚の言語はまだ探求されていない。D・H・ロレンスは本能に言葉を与えることを始めた。彼が臨床的・科学的な言語から逃れようとしたのは、それでは肉体が感じるものを捉えられないからだ。(pp.371)

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #4

 ナイトとの恐るべき決戦。

 「反文学」のいつものグループ会議(基本的には週一、あとは要望があれば任意で他の日に開催されることもあった)で、僕たちは互いの作品をけちょんけちょんにけなしあって、疲弊した後、濁りそうになった空気を元に戻す為に全く違う話題をお涙程度に披露したりするのだった。しかしそれはそれで面白かった。どのみち現代人は孤独に飢えていて、インターネットを介して大人数で声のやり取りをするのはそれだけでもかなり面白かった。一見皆の仲がほどほど良かったのもグループ会話の旺盛に拍車をかけていた。

 あるときのグループ会議で、ナイトはいきなりフランスの批判というより悪口をただだらだらと述べ始めた。フランス人は自己中心的で自慢ばかりする、エゴイストばかりだ、だからフランス文学はつまらないんだ、フランス中心主義には目も当てられないよ……彼の話を古井や公房といったメンバーは慎重に、あるいは同意して聞いていたかもしれない。ちなみに、ナイトと公房は同じ大学の先輩と後輩関係で、二人揃って同じドイツ文学のゼミナールに所属していた。だから公房が先輩のナイトの話を興味深く聞くのは頷けた。僕ははじめから公房を尊敬していた。公房はかなりセンスの鋭い作品の書き手であり、同時に頭も最高に良く、批評や哲学にも通じていた。ナイトだってある種の天才性のようなものはあったかもしれない。ただ、僕はナイトはナルシストだと勝手に思っていた。そう思うような個人的エピソードがあったからだ(これについてはまた後述する……
)。
 とにかくナイトがフランス批判だのフランス非難だのの罵詈雑言を紡ぎだしているとき、僕は一切声を出さなかった。なぜなら僕は総体においてフランスの愛好者だったからである。

 そこで、次の日、僕は平静を装ってナイト個人のスカイプにチャットを送ってみた。個人的に話がしてみたかった。というか、彼の行き過ぎたフランス批判に、僕は我慢ならないものを覚えていたからだ。だからその辺を聞いてみたかった(か、純粋に議論してみたかった)。彼は今は昼ご飯を食べているので、適当な感じでもいいなら、通話もできる、と素っ気なく返してきた。僕は仕方なく通話のダイヤルを押した。
 ナイトはカップラーメンか何かを食べている様子だった。直感で分かったのだがナイトもまた僕のことを嫌っていることが薄々感じ取れた。まったくつまらないことだった。しかし僕は敢えて話をしてみようと思った。

 昨日。フランスの話しましたよね。
 え? あぁ、したね。
 あれ、ちょっと僕は言ってなかったんですけど、あんまりだと思ったんです。ナイトさんは、フランスを馬鹿にしすぎじゃないかと。一体フランスの何がそんなにダメなんですか?
 ……というと?
 いやね、僕はフランスが普通に好きなんです。文化や、歴史なんかも含めてね。だから、ちょっと我慢ならなかった。
 ……ミステイさん、一つ聞いてもいい?
 はい。
 あんた、前から思ってたんだけど、哲学者とか文学者をアイドルみたいに思っていない?
 は???
 いやさ、ミステイさんが語るドゥルーズだとか、サルトルだとか、なんだかいちいち偉そうに聞こえるんだよね。あんた確かアイドルも好きだったよね。アイドル視してるの?

 この人は何を言っているんだろうと本当にびっくりした。同時に怯えた。僕が哲学者をアイドル視? 意味が分からない。僕は確かにサルトルドゥルーズが好きだったが、それと彼らの著作を真面目に読むこととは全く別の問題だ。

 僕はやるせない気持ちを必死で隠しつつ、そのような当たり前のことをただ淡々と述べた。すると、ナイトもとりあえずふーんとだけ言って、引き下がった。

そのあとは、もう会話をするのもいたたまれなくなって、二人とも沈黙が続いた。だから、この通話は終わった。そしてこれ以降僕がサシでナイトと通話することは二度となかった。

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #3

ちなみに、「反文学」の連中は、Tfillのグループ会議(総会、などともったいぶった呼び名で呼ばれたりもしていた)にも参加していたりするので、このあたりはごっちゃだった。というより、Tフィルの中で特に仲が良く気質も似ている連中がいるなということに気付き、そのことを一番の年長のOさんに話したら、彼が言ったのだ、「じゃあミスティさんも一度ウチに来ればいい」。

 最初に言明しておくと、「反文学」で得た知的モチベーションは素晴らしいものだった。僕はここで初めて本格的な批評――本当はただの叩かれ台――を受けることになったし、最初に共読した哲学書はマルクスの『ヘーゲル批判哲学序説』だった。
 僕は、それまでで純文学的な傾向のある短編のなかでちょっと自信のあった「奇妙な食卓」という小説を叩き台に出してきた。これは評価はマチマチだった。ひるさん(女性、生活など一切不明)がここはもっとこうしたら、とかこういう表現に変えたらもっと良くなるのに! などと好意的なことを言ってくれたことはよく覚えている。どちらにせよ、これが僕の「文学的」洗礼だった。
 哲学書のほうは特に問題がなかった。哲学でちゃんと話し合えるのは、古井と、公房、そしてOさんと僕くらいしか居なかったけど、別に問題もなかった。この際古典哲学をきちっと読んでおくのも絶対にためになると思われた。

 「反文学」のメンバーは僕を迎えて活気が増したように思われた。連日のようにグループ会議が開かれた。ひどいときには、みんなが寝落ちしてしまうまで続く(それは続くと言えるのだろうか)こともあった。だけど、みんなが文学や芸術に向かって楽しい時間を共有していたことは間違いなかった。僕は今もそれをずっと感謝している。

 ここに、僕とそう年齢の変わらない二人、ヤケド(男性、介護職)とバイソン(男性、会社員)が時たまやってくることがあった。ヤケドは佐々木中保坂和志のファンであるらしかった。僕はこのヤケドがどうにも苦手だった。それが信じられないところまで亀裂を生むことになる。
当時は僕が覚えている限り最もメンバーの仲が良かった頃だ。Tフィルのグループ会議と、「反文学」のグループ会議以外のところで、僕もたびたび人とSkypeで通話をした。

 ヤケドとバイソンと三人で話をしたことがあった。話は大西巨人の『神聖喜劇』に及んだ。ちなみに大西巨人は昭和?のまさに巨人のような作家で、『神聖喜劇』は全4巻からなる膨大な小説である。 僕は何かの折に大西巨人の『神聖喜劇』を図書館で探していて、その時第一巻が他の人に借りられていた。だから僕は諦めて家に帰ったわけだけど、そのことをヤケドとバイソンに話したら、二人ともやたらニヤニヤしだして(というのもその顔はパソコン越しには見えなかったわけだが)、「え、ミステイさん、借りてこなかったんですか。第一巻がなかった? じゃあ二巻から読めばいいじゃないですか。ははは!」 この人は何を言ってるんだろう。おかしいのだろうか。僕は普通に反論した。「話が最初から分からなかったらきついですよ。というより僕は普通に第一巻から読みたい、それだけのことです」 すると普段は優しいバイソンまで、「ミステイさん、本の読み方はいつも一つではないんだ。それこそ無限にある。ミステイさんはミステイさんの読み方がある。つまり、『神聖喜劇』を第二巻から読み始めるのだ。それがいい。絶対それがミステイさんの読み方だ。ぜひともそうすべきだ」「そうだ、そうだ」 僕は恐怖を感じた。このとき、ヤケドとバイソンが実はとても仲が良いことに気が付いた。二人は何か結託しあっているように思われた。二人が結託して、この僕をからかっているのだ。僕は腹が立った。何も言うことができなかった。その日の晩は、早めに会話から離脱した。

 また、「反文学」のうち、よるさん(男、大学生)に対する敵意を抜きにこの回想録を完成させることはできない。
 よるは、こう言ってよければだが、ドイツ人そのものだった。ドイツ文学を骨の髄まで愛し、ドイツ文化を好み、まるでドイツの為に生まれてきたような人だった。これはあくまで僕から見た「よる」の姿である。「よる」をナイトと言い換えよう。ナイト=騎士は、そして危険な香りをいつも漂わせていた。

 最初に「反文学」の集まりにナイトが現れたのは、3月頃だった。そのときナイトは、呂律が回っていなくて、これは薬の副作用なんだという繰り言を述べていた。電話(というかPC)の向こうに猫の鳴き声が聞こえた。「男ってほんとみんな猫大好きだよね。猫飼ってる人ばっか」とひる(女、不詳)は言った。僕は何となくナイトは精神的に抱えているんだなと思った。あとで話を聞いてみたら、僕とひるとナイトは同学年、同級生だった。

僕もまた、ナイトと一悶着あった。

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #2

一人で小説は書かないといけない、しかし本当にたった一人で小説を書くことはとても困難だ。

 巷には小説投稿サイトというのがいくつも流行っていて、何やら人気ランキングみたいなものを掲げているのもあるんだけど、そういうものを読んでも自分の書きたい純文学っぽいもの(ここでは敢えて純文学という言葉を使っているが、当時は純文学がどういうのかすら分かっていなかったのだから、まさに水の上を泳ぐ魚だ)が評価されたり話されたりするようなのってない…… というか、純文学っぽい投稿サイトはない。あったとしても、書いている人はほぼいない。仮にいたとしても、その人はなんだか無敵の論理と罵詈雑言をコメント欄と相互で吐いているのだ。

 投稿サイトは小説を書き始めた20歳のころからちょくちょく使っていたが、自分の作品のストック場という感じで、たんたんと書いていてもまず普通に読んでくれません。当たり前。労力のいる読み物をだれがわざわざ読むのか。

そこで僕は思いつく。文芸サークル…… 殊に、やたらファンタジーとライトノベルを書きたがる中学生たちではなく、大人の社会人文芸サークルはないものか、と。
 
それは読書会という形でなら大阪や東京には存在したが、僕の地元・岡山にそんなものが都合よくは現れなかった。

さらに僕は進路を取る。SNSで探してみてはどうだろう。個人でもいいし、何か、そういうサークルめいたもの……

そして調べて、気を抜いて、調べた後、あったのである。
webによる文芸同人団体。

「T fillハーモニーオーケストラ文芸団」

 音楽団体? 文芸団体?

判断に迷ったが、ツイッターのプロフィール欄にははっきりと「熱い同士をお待ちしています」という文字と、サイトへのリンクが示されてあった。
僕はこの奇妙な名前の団体、「Tfillハーモニーオーケストラ文芸団」をかくして知ることになった。この団体が基本的に僕を根本的に変え、期間X以後の僕、すなわち「文学的人間たるの僕」を作り上げた原型だったのだ。
Tfillハーモニーオーケストラ文芸団

 これはweb上での、つまりインターネットを介した文芸の同人団体の名称であるが、僕はここに2014年3月から2015年3月の一年間在籍することになった。今から振り返ってみれば、僕が単なる夢想家から少しでも高い壁を突破したいと本気で考えるようになる、その本気で考えるというかなり面倒な手続きのエネルギーを与えてくれたのがこの一年間だったといっても過言ではない。

Tfillハーモニーオーケストラ文芸団(Tフィルと略す)の「T」は、Twitterの「T」だった。つまり、TフィルはTwitterをメインに使っていた。三か月に一度「部誌」と呼ばれるweb上の雑誌を作るために、特集テーマを決め、それから原稿を募り、原稿の締め切りが来たら校正・推敲期間に入る。そして完成された作品がホームページ上やpdfファイルとして作成されるわけだ。
僕が所属した一年間の中でも、数えきれないメンバーが交流し、喧嘩し、笑い合い、出ていった。
その中でも、この物語において最低限必要なメンバーはそれなりにいる。名前をどうしようと思うのだが、Iさん(男、教員)、よるさん(女、不明)、ひるさん(男、大学生)、公房(男、大学生)、Oさん(男、建設業)、ヤケド(男、介護)、モー(男、会社員)、それから古井(男、不明)だ。

順を追って説明していこう。

IさんはTフィルの部長。しかし、この人は僕が所属していた間、現実の仕事に追われていて、コンタクトを個人的にとりはじめてから仲良くなったのは秋ごろだった。

ここで注意しなくてはならないのは、よる、ひる、公房、O、そして古井の「五人組」は、Tフィルの中にさらに下部組織「Anti-Literture」(反文学)を造っていた。彼らはおもにマルクス主義の哲学書やドイツ文学書を読みあい、読書会を一週間に一度行っていた。また、時としてメンバーが書いた短編作品の合評なども同時に行っていた。

最初にTフィルに入ったとき、作品を書く動機づけと、発表できる場が与えられただけでも、とても嬉しいと思った。特に、好きな作家などで話が通じる人も何人かいて(僕は当時それなりに村上春樹の長編作品などを読んでいたのと、哲学書をかじっていたので、だいたい哲学方面に詳しい人として措定された)、仲間がすぐにできた。

Tフィルでも、web雑誌に発表された各作品は時間をおいてから、メンバー同士で互いに読みあって、批評(感想、批判、称揚)をする。そのとき使っていたのは、PC上のSkypeのチャットやグループ会話だった。
 僕は、趣味を同じくする者同士の、主に夜から深夜にかけて行われるグループ会議というものの楽しさと罠にハマってしまったのである。

これらはまだ3月に入った頃だ。僕は次第に「反文学」の奴ら(の方が概して小説や哲学書を読んでいるし、書いているもののセンスもいい)に尊敬を覚えたり、憧れたり、文学や哲学の会話をすることが多くなった。僕はそのうち、「反文学」の読書会というグループ会議に参加していくこととなった。

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた#1

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #1

これから、ある一定の期間における過去を簡潔に(といっても簡潔にはならないのだが)振り返ろうと思う。
 例えばその期間をXと呼ぶことにしよう。期間X以前の僕はどうだったかというと、大学を何回も留年し、普通に落ちぶれた、しかもあまり良くない遊びも覚えた大学生だったと言えよう。
 大学を中退して去ったのをキッカケに期間Xははじめられたわけだから、期間XないしX以後における僕の身分は「フリーター」と「ニート」を行ったり来たりする。定職にはついていない。それも後々明らかになる。ここには小説家を目指そうとして常に中途半端な努力しかしてこなかった情けない男のしがない20代の人生が語られるだろう。
 はじめから、血の凍るような、あるいは反転して血が滾るような、そういう形容を用いずにはいられない、「実存の叫び」--僕自身という存在の咆哮は、くぐもり、あけっぴろげられ、虐げられ、迷走し、空中分解するのである。
ただそれを振り返ってみるだけだ。

 この内容がうまくいけば外部ブログにも自分でコピペするつもりだが、やっぱりmixi日記というツールの、肩をはらなくてよい適度なプレッシャーだけを身に受けてこの文章を書き進めていきたい。

 とにかく、期間Xというのは、2014年の2月にはじまる。僕はいよいよ大学を中退し、手続きも足早に済ませ、親に来てもらって一人暮らしの机やら冷蔵庫やらを一気にまとめて地元に帰った。
 もちろん、とりあえずの就職先が目下の目標だったに違いない。しかし僕は並大抵の人間ではない。ある意味狂人だ。だから普通の就職先を普通に考えて就活しようとする意志のようなものがない。
 簡単に説明すると、僕はこのとき小説家として自分の人生をデザインする途はないかという最後の賭けのようなものを考えていたのである。
 僕の親は、僕が小さい頃から莫大なお金を学費と塾、そして習い事の定番であるピアノ教室代を払い続けた。
 おかげでちょこちょこ才能と呼ばれうるようなものには巡り合わせが良かったのかもしれないが、苦労の味も、挫折を乗り越える強きマインドネスのようなものも全く知らなかった。

 その男がまさか、大学、しかも4大をすら卒業できなかったら、基本的には無意味である。そう僕には思われた。確かに大学で学んだこと、というより大学の環境で学んださまざまな知識や本やゼミや経験はほんとうに素晴らしいものだったが、肝心の「卒業証書」なくしてはただただ泣き目を腫らすだけだ。僕は膨れ上がった頭の中で、次第にこう考えるようになった―――

僕のアイデンティティは知的活動であり、それを生きる(食べる+楽しむ)ことにつなげていくしかない。

音楽は鼻から対象にならなかった。僕のピアノはお粗末なものだし、ベースもバンド人間としてもアマチュアで十分だった。

小説を書く――そして、いつしか有名な小説家になる。僕の大好きな本。本を出版すること。
僕の亡くなった祖父は、還暦を迎えてから自費出版で自分の教師としての歩みを一冊の本にまとめた。10年もしないうちに祖父はなくなった。
 自分が死んだときに、何か世の中に形として残しておきたい。それを考えたときに僕がすぐイメージしたのは、本売り、というか、小説家になって小説や哲学書を書くことだった。

とりあえず、2014年の2月。 親には、コンビニのアルバイトか塾のアルバイトかの二択で迷っていると言っておいて、僕は小説をどうしようと思っていた。

最大の難点は、小説は一人で書くにはあまりに世界が広がらないという事だった。

森の神話学――大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』

 目次

 序章 M/T・生涯の地図の記号
 第一章 「壊す人」
 第二章 オシコメ、「復古運動」
 第三章 「自由時代」の終わり
 第四章 五十日戦争
 第五章 「森のフシギ」の音楽

 Wikipedeiaによると、この『M/Tと森のフシギの物語』はノーベル文学賞の検討に際しての参考作品の一つに挙げられているらしい。ノーベル賞の受賞理由は以下のとおりである。
”詩的な力によって想像的な世界を創りだした。その世界では生命と神話が凝縮されて、現代の人間の窮状を描く摩訶不思議な情景が形作られている。”

 この摩訶不思議な情景、世界というのは四国の森の世界であり、本作は大江の森体験における非常に重要な作品となっている。岩波文庫の本書の終わりには大江健三郎自身による解説めいた「語り方(ナラティヴ)の問題(一)」「語り方の問題(二)」というあとがきがついているのだが、まさに「語り」が重要なのである。

 本書は語り手「僕」によるですます調が用いられ、「僕」が森・村の昔話をポツポツと立体的に語っていくといった口調で語られていく。しかもそれは、祖母の実に奇怪に満ちた村の伝承にまつわる話を語り手の「僕」が幼少の頃を思い出しながら回想していく……という形をとっている。それは次のようである。

――とんとある話。あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば無かった事もあったにして聴かねばならぬ。よいか?
――うん!
 それは昔の実際にはなかったことを、話で語られるとおりに、それらのことはそのまま現実にあったと、過去を造り替えてしまう、そういう作業を行っていることではないか? 僕は漠然としか自分の心の中で言い表すことができない、しかし根強い恐れを抱くようになっていたのでした。

 そして祖母が明かす森と村にまつわる話は、第一章の「壊す人」や第二章のオシコメなど、摩訶不思議で面白い話ばかりである。「壊す人」はその昔、村を主導して基礎を作り上げた伝説的な人物(?)であるのだが、とにかく体が大きく、しかも死んでなおその存在を続けているという人知を超えた、「神話」ならではの存在でもある。オシコメは女性で、「壊す人」の女房役でもあり、「壊す人」が死んでからは代わって村を引っ張っていく、これまた体の大きい(それは普通人の十倍はあろうかという)神話的人物である。 このほかにも、メイスケさんと言われる人物など、森の伝承が祖母のリアルな語りと神話的人物たちのハチャメチャな活躍によってダイナミックに進んでいく。

 大江健三郎のあとがきと、岩波文庫の解説を書いた小野正嗣さんの分析を読めば分かるのだが、『M/Tと森のフシギの物語』は『同時代ゲーム』と話を同じくしていて、そうでありながら「語り方」や幾つかの挿話などにおいて、根本的に筆を書き改めたのがこの『M/Tと森のフシギの物語』だそうである。正直、登場人物たちの喋り方がうざったくて、後半になるにつれしんどい向きもあるが、終わりまで読んで、あとがきと解説を読むまでいくと救われた気持ちになるそんなつくりである(笑)