書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

エメラルド(詩)

エメラルド

misty

海を見た、と君は言った
その海はエメラルド色の
静かで穏やかな波だったかい、
それとも、激しく、荒々しいうねりをあげる海だったかい
金色に輝いて、
どこまでも続く波の表面を潜ると、
全く知ることの無い海が広がって、
もっともっと、底へ
チョウチンアンコウシーラカンスが棲む深海へ
魚にはなれないけど、
鱗をもち、えら呼吸をして、
君のように自由に美しくこの世界を泳ぎ廻ってみたい
ねぇ、そこは、楽しいかい?
海を見たい、と僕は言った
エメラルド色に染まる大洋を、
いつ何時でも、眺めていたかった

上野俊哉『四つのエコロジー』 ガタリの思考、機械状、氾心論

上野俊哉さんの『四つのエコロジー フェリックス・ガタリの思考』(2016、河出書房新社)があまりに素晴らしいので、メモ書きをします。
哲学書というのは、もちろん素晴らしい概念や、見事な論証に息を巻くから面白いんだけど、どんな結論やテーマや論証過程であれ「面白い哲学書」の共通点は、読んでいると非常に脳に刺激を受け、全く違った視点を得たり、想像や思考が広がっていく、その爆発的なきっかえをもらえることにあると思います。頭の回転のエネルギーになるんですね。そういう意味でも哲学は、頭のまったく思いもよらぬトレーニング、使用法だと思います。
四つのエコロジー: フェリックス・ガタリの思考

 本書は全部で370頁くらいあって、僕はまだ110頁を読んだところだけど、読みやすさにも配慮されているし、次々と面白いことが書かれているのでメモさせて頂きます。
 タイトルの”四つのエコロジー”というのは、精神分析家にして社会活動家であったフェリックス・ガタリの『三つのエコロジー』の自然環境・社会・精神の3つのエコロジーに加え、「情報」という全く違った概念/観点に基づいてガタリの思想を補強ないし変奏する試みみたいです。詳しくは最後まで読んでみないと分からない。
 それでは今まで読んできたところで幾つか引用をします。

 そもそもガタリにとって、「実存的なもの」existential はすでに機械状、マシニックなものであり、決して機械論的な因果関係や決定論には左右されない。なぜ実存が機械状(マシニック)であるかと言えば、それはあらかじめ決定されたルールやコードからはみだして、様々な選択や決定を異質な要素の結合の可能性に開いていくのは、人間の意志や選択ではなく、機械状の組み合わせであるからだ。その担い手は人間のみならず、バクテリアや細菌、電子回路や工学機械、視聴覚装置にいたるまで何でも機械状の仕組みにはまりこんだものとしてとらえられる。機械が決定し、人間がしたがうと言ってるのではない。
(『四つのエコロジー』pp.95 赤字強調はみすてぃ)


 「実存」というと実存主義哲学のサルトルですが、上野はドゥルーズガタリサルトル実存主義的な哲学をもちろん尊敬はしていたものの、彼らの哲学的プロジェクトはそういった実存主義の問題点、限界を乗り越えることにあったとし、ガタリが使う「実存的(実在的)領土」を一般の意味=サルトル哲学的な意味の実存とは違うところに着目します。

 ガタリの思想においては、実存は決して人間の生(生きること)だけに特有のものではない。そもそも、ここで例に出されているように、人間の生も、バクテリアや細菌の生、さらには電子回路や工学機械の「存在」も、機械状 machinic なものであると捉えられます。普通、「機械」という概念は、機械(操られるもの)/人間(操るもの)、さらには機械(人工のもの)/自然(非人工)といった大きな二項対立で捉えられますが、ガタリはこの二項対立を拒絶し、例えば赤ん坊の口が母親の乳首を捉え、その乳は赤ん坊の尻の穴から出て便となり、その便は農夫によって畑にまかれて農作物の栄養になる、といった、人間や動物や自然や機械がつぎつぎにつながったり、切られたりといった円環の中で見えてくる、大きなシシステマティックなつながりのようなものを、「機械状」と捉えます。その観点からすると、人間の生も機械状の一つなのです。しかしこれは、補足されているように、決して機械状という一つの「神」のようなものが全ての意志を無視して必然的に支配し、したがって人間もその支配下に置かれているからすべて運命であるみたいな議論には全く関係ないということです。

 僕が例を出しましたが、赤ん坊の口が母親の乳首を含み~といった例は、ドゥルーズガタリの『アンチ・オイディプス』第一章に鮮烈な形で出てきます。とすると、このアイデアガタリの方にあったと言えるかもしれないですね(ガタリが多めにアイデアを出して、それをドゥルーズが哲学的にまとめ上げた)。

 ガタリがブラジルと日本に特別な愛着と関心を抱いていた理由の一つに、現代資本主義の文脈においてアミニズムを陰に陽に温存している社会という視点がある。日本には昔から「針供養」のように、普段慣れ親しみ、ときに酷使することのある道具を年に一度ねぎらうという仏教の儀礼がある。友人で写真家の港千尋に聞いたところでは「カメラ供養」まであるというのだから驚く。アニミズムに対する距離や親近性は、そのような普段のテクノロジーのつきあいのなかにも影を落としている。たとえば……(中略)……日々のメンテナンスや丁寧な扱いをしていないPCのハードディスクは壊れやすい、といった「ジンクス」を聞いたことがないだろうか?
(『四つのエコロジー』pp.101-102)

 たとえば、様々な表現文化(映画、小説、音楽……)においては、鑑賞者による一種の融即=分有 participation 、つまりは一種の「参加」が生じうる。そこで表象されるイメージや内容を前にしてはもはや受動的な観衆(オーディエンス)でいることはできない。受け手は鑑賞や読解によってすでに言表行為の集団的な仕組みの中に巻き込まれており、その受容のプロセスがまた作品やテクストを捕捉する。しかし、この代補こそが見かけ上の全体性、作者の権威を保証している。つまり作者もまた最終的な主権、権威を一つの「全体」としてはもちえない。
(『四つのエコロジー』pp.108)


 まず前者の引用について。アニミズムというのは、人間や動物、植物や鉱物に限らず全ての存在者に魂(アニマ)が備わっているという発想です。そして、大事なことは、人間が人間独自の思考様式や感情を持っているように、動物たちも、人間のようには考えておらず、彼ら独自の魂(アニマ)の様式を持っていると想定することで、”人間”という捉え方を安易に他の存在者に直接適用しないことです。これは他者をどう考えるか、他者とは誰か、他者を尊重するとは何か、という共生の問題につながってくる。
 しかし、上野さんがお話に出す、カメラ供養とかパソコンに愛着を覚えるとか、僕はバシッときました。僕は、今まで持っていたPCや愛用の自転車に勝手に名前をつけたりしていたのですが笑、アメリカやヨーロッパではまずそんなことはないそうです。 本当どうでもいいですが福岡で愛用していたママチャリにはAKB48の高橋みなみさんのシールを貼っていたので、「たかみな号」と命名していました笑

 後者の引用も、まさにそうと頷きました。例えばお笑いのM-1のネタ披露などは、観客の態度がとても大事です。松本仁志がよく「会場、もっと盛り上がったってぇ~」「めちゃめちゃ会場冷えきっとるやん!」と、決勝の舞台に入るお客さんの態度を気にしているように、芸人たちのネタの披露は、リアルタイムで観客のウケに反応し、盛りあがったら芸人たちも勢いづくし、なかなか笑ってくれなかったら芸人は焦って噛んだりするんです。それでますます面白くなくなってしまう。
 引用の例でいえば、たとえば笑い飯の「鳥人」というネタ(分からなかったらYoutubeで調べてくださいめちゃくちゃ面白いです)は観客の圧倒的なウケもあって、「100点」という最高点をもらったけど、決勝ネタの「チンポジ」で期待値を上げていた観客の心を台無しにしてしまって、その年の受賞を逃しました。
 また僕は良くテニスやサッカー観戦をするのですが、熱いサポーターの応援のあるなし、ホームの地での戦いかアウェーかということは、選手たちにとっても本当に非常に大事な要素になります。そういう意味で、芸人のネタや、プロ選手たちのスポーツも、観客の反応と融合して、一つの「場」を作り上げているのであり、決して観客なしには成立しえないのです。

 
 ちょっと最後は雑談めいた向きにもなってしまいましたが、この上野俊哉さんの『四つのエコロジー フェリックス・ガタリの思考』は本当にオススメです。是非買ったり、図書館にリクエストしてみてください。

たいくつ(部分)

***

mistyです。ちょっと事前説明をさせてください。さきほど、PCメールの下書きを遡っていたら、まだ僕が大学生だった頃、2011年1月の日付で保存されていた「たいくつ」という小説の、一部分が見つかりました。
 「たいくつ」は長編で書こうと思っていて、自由にのんびり書いて、楽しかったのを思い出しました。江国香織さんが描く子供たちのきらびやかな世界というものを書きたくて、ノートやルーズリーフ、何で書いていたっけ……? とにかく、大学4年だから21歳のときの僕の拙い小説で、おそらく今以上に誤字・脱字・基本的な間違い(”――と彼は言うのだけれど――”と打つべきところを、―と彼は言うのだけれど―”みたいに[―]これ一つで済ませちゃったりとかがすぐ見つかりました苦笑)が多いはず。

 長いですが、掲載したいと思います。だいぶだいぶ暇な人は読んでみてください。

***

たいくつ(部分)


 レストラン内の音楽が、いつの間にかまた優雅なクラシックに変わる。少しだけゆるやかなムードが流れて、それでも今の私の心のだるさには中々届いていない。
 目の前の男の笑顔―目尻に皺を寄せて、乾いた声をはさみこむ、くったくのない感じ―が、こんなにも私にとって苦痛なものだったろうか。無味乾燥にすら思えて、私の中心からはどんどん遠ざかっていく、本体である彼自身とともに。私たちは両方とも食事をすっかり終えて、金縁のお皿はウエイターに未だ下げられることなく、空っぽのまま私たちの動向をひっそりと見つめているかのようだ。私とその男の会話に、もっともらしいことなんて何一つないのに。
 私たちの関係を敢えて形容することすら面倒だが、強いて言うなら、それはちょうどこの、食べ終わった後に取り残されたお皿のようなものなのかもしれない。というより、お皿にすぎないのかもしれない。汚れのついたお皿は、それがついたまま、私とその周りの風景を薄く反射する。つまり、お皿そのものに実体はない。お皿そのものは何かを言うわけでもなく、作動されることと言ったら送り込まれた外部標識を少しだけ歪めて、思考停止のように送り返すーその真ん中は虚無だ。
 自分の考えがあまりに本質に近づいているように思われて、20歳の次穂は思わず身体の奥底からくる冷気を感じる。私はかつてこの人のことを本当に好きだったのだろうか? そんなことを考えてしまって、ため息をつきたくなる。
 言われるまでもないーこれは、おそらく一般に「倦怠」と呼ばれている現象だ! でも、あまりにも早すぎる倦怠だし、むしろそれは終焉、あきらめの方に近い気がする。
 男は、何にも気づかず、繰り返し意味のない笑った顔を私に向け続けている。 

 さて、友情の誓いは、夏休み期間限定だったな、と思い返す。友情の誓いが生まれたきっかけも平凡、というよりよく分からないものだし、なぜあれほどまでに当時の私とさきちゃんは友情の誓いに熱中したのだろう。 でもそれはとにかく、熱くてゆるぎのないものだった。何しろ「人生のパートナー」だ。今から考えればそれは間違いなく、「良き夫婦」の目標であるべきだし、小学生ごときが本気で実行できるようなものではない。 
 それくらい、さきちゃんのことが好きだったんだろう、それは間違いない。

 友情の誓いが立てられた空き地は、確か翌年の春頃にはもう買い取られて、立派でよそよそしい一軒住宅がどんと建てられることになった。だからもちろん、あの頃の空き地は跡形もなく消えて、友情の誓いの言葉もそれを特徴づける木の杭の目印も、世界からは忘却された。いや、それは間違いだ。今でも、私の頭の中に、現在に生きる過去の輝かしい遺産として、残り続けている。ぱさぱさとした土の感触、小石で深く刻み込んだ「パートナー」の文字、風に吹かれて運ばれる、すこやかでどこかあおっぽい香り。 友情の誓いは、もしかしたらその夏の始まりの合図だったのかもしれない。

 ショパンの、悲しい曲調のワルツが流れる。街のネオンがところどころ光って、その美しさだけが私の心にみゃくみゃくと押し寄せてくる。


☆ 


 朝。なんとも、久しぶりにぴかぴかに晴れた、びっくりするくらい強烈な朝日が差し込む朝だった。
 こういうのは、かえって人を混乱させる。これだけ雨の日が続いているとそっちのほうに慣れてしまい、太陽の光を実感として抱けなくなるのだ。次穂はそんな軽い混乱にとらわれながら、いつも通りの朝の作業を迎えた。
 朝ご飯ートースト、ほうれん草のおひたしスクランブルエッグーを半分食べ終えた所で、姉の亜紀ちゃんがのっそりと顔を出す。亜紀ちゃんは、最近顔立ちとか要旨がどんどん大人びてきている気がする。すらりとした手足とか、長くのばした黒髪だとか、小さめだけどとてもきりっとしている瞳だとかー最近そんなことに改めて気づいて以来、12歳の次穂は20歳の姉のことをますます誇らしく感じる。私とは大違いなのに、私の姉なのだ! 私も年を重ねたら、亜紀ちゃんみたいに手足がすらりとしてきて、長い黒髪なんかが似合うようになってきて、そしてきらりとした眼差しで人のことを見たりすることができるのだろうか。

 亜紀ちゃんが通っている、「大学」という所には、そんな亜紀ちゃんみたいな人がほかにいるのだろうか? 亜紀ちゃん一人が素晴らしすぎて、大学という所もちょっと困っているのではなかろうか? 「ちょっと、そんなきれいな人に来られては、私たちも困ります。」みたいな。 そんなことを想像していると、少しだけ可笑しく思えてきて、つまらない朝のことをほんのり愛しく思えた。
 亜紀ちゃんは相変わらずお寝坊だ。お寝坊なのにきれいなんてうらやましすぎる。
 「おはよう、お姉ちゃん。」 「…おはよう。」
 姉はそういって、姉専用の椅子ー姉のお気に入りの色である、黄色のクッションカバーが敷いてあるーにどさりと腰をおろした。
 お寝坊の亜紀ちゃんだが、今日はいつもと違って不機嫌という訳ではないように見えた。つまり、近寄りがたい雰囲気が薄くなっている。ぴかぴかと光っている朝日のせいだろうか。
 父はもう家を出ていてーそれがいつものことなのだー、次穂と姉とお母さんの3人の時間が流れる。お母さんはというと、特段何もしない私たちと違って、朝はいつも動き回ってる、気がする。エプロンを身に付けて、私たちを何故か諌めるように。
 とぼとぼと姉妹が朝食にありついていると、ふいに亜紀ちゃんが口を開いた。
 「ねぇ次穂。」
突然の問いかけだったので私はちょっと面食らってしまった。
 「う、うん、何?」 拾いかけたほうれん草の一葉がはしからこぼれ落ちていく。
 姉の亜紀ちゃんは愉しそうに、
 「最近はテストばかりだけど、それでも学校楽しんでやっていける?」
と、次穂の方に顔を近づけるようにして放った。
 なんだ、そんなことかと次穂はたちまち安心して、すぐに
 「うーん。まぁまぁかな。」 と、とても中身のない返事をしてしまった。すぐに後悔することになる。
 「算数が最近微妙って言ってたけど、どう?」
この質問には少しばかりの時間を置かなければならない。 トーストの耳をちゃんと飲み込んでから、次穂は言葉を返した。ごくん、っぱっ。
 「…ダメかも。 なんかね、私、分数の計算が苦手なんだ、やっぱり。」
 「苦手って?」 「苦手というか、すごく時間がかかってしまう。その割には、いつも計算が間違うの。」
 「分数の、足し算?」 「ううん、割り算。 割り算が、時々やり方を忘れてしまって。」

 「ふーん。」
亜紀ちゃんはそこで言葉を切った。何かしら考え事をするような、目つきになっていた。会話が必然的に止まる。 私、正直に話したけど、もうちょっと言い方を変えればよかったかな。

 また、黙々とご飯を食べる二人の光景に切り替わる。そこに、朝の色々な作業を「4分の3」ーお母さんはいつもそう表現するー終えた母が、温かいコーヒーを入れたマグカップを片手に、リヴィングテーブルの席に登場する。
 お母さんが登場するということは、それはつまり亜紀ちゃんの関心事が主にお母さんとの会話になることを意味している。そしてちょうどよく次穂は自分の分の朝食を終えるのだ。
 「亜紀、ちょっと聞きたいことがあるんだけど…」
差し障りもない口調で母の質問タイムは始まり、次穂は朝ご飯の乗っていた銀色のプレートをシンクまで運び、そしてリヴィングを去る。 
 次穂は、歯磨きをしながらあることに気づく。そういえば、姉とちゃんとした形でー?二人きりで真面目な話をするということかなー、しかも朝から話をするというのは、割と久しぶりではないのだったろうか、と。 それは次穂に幸福な嬉しさをもたらす。


 夜。時計は10時を回り、小学生であるべきの私は、そろそろ就寝に取りかかる時間だ。
学校の宿題がひどくつまらない。あと計算問題を2つ解いたらおしまいという所で電源が切れてしまって、仕方がないのでお風呂に入ったりテレビを見たりして、そうやって折角自分の机に戻ってきたというのに、またしてもやる気が起こらない。ううん、やる気が起こらないというより、もっとひどくなってる。眠いのもあるんだけど、何だろう、ふわぁ。

 次穂の部屋は、次穂が小学5年生に上がった春に、与えられた。かつて姉の部屋だった場所に。
今では、すっかり次穂の好みにあった部屋に仕上がっている。部屋は、住んでいる人の肌に近くなるんだ、と私は思っている。そしてこの部屋は1年前の春から今まですっかり私が主になっているので、当然私いろに染まるのだ。
 まず本棚が全部あわせて4つあり、一番大きいのが白色の木製、次にシルバーの金属製の、それから赤色と青色の、高さ70センチくらいの小さめのやつ。それぞれが、机の両端にぴったりくっつくようにして配置され、こうやって机から眺めてみるとそれぞれに手が届くので、気持ちがいい。机は、幼稚園の頃からずっと使ってきた、大きな学習机。こればっかりは、少なくとも今の私の好みとはかけ離れている。ライトな薄い色のペンキが塗られた、ばかでかい学習机。
 ドアから離れるようにしてベッドー本棚の次に次穂が気に入っているものーがどかんと置いてあり、スペースの空いた所には、ムーミンの大小そろったぬいぐるみがどっさり置いてある。主人公のムーミン(もちろんムーミンパパやママもだ、当然!)の他にも、ヘムレンや、それから次穂が尊敬してやまないスナフキンといったキャラクターが、仲睦まじげに並んでいた。

 花柄の壁紙を張り替えることは、結局お父さんから許してもらえずじまいで、そのままになっている。ドアの頭方向に、大きめの洋時計がばばんと飾ってある、そんな部屋。

 「もういいや、明日やろうっと。」
そう口にすると、おかしなもので途端に気持ちが楽になり、私はベッドにばすんと身体を預けた。深くうずくまってから、息を吐く。はぁ、今日も1日、過ぎていったな。

 しばらくそうしていると、耳が澄まされ、そしていつものごとく隣の姉の部屋から、姉が好んでかけている音楽が少しずつもれて聞こえてくる。
 亜紀ちゃんの好きな音楽のことは、よく知らない。ただ、亜紀ちゃんが無類の音楽好きということだけを知っている。…と。

 「なんでよっ!」
亜紀ちゃんの、声だ。 これは、亜紀ちゃんが怒っている声だ。 薄く鳴り響いている音楽の中からそれは突如として姿を現した。次穂はふわぁ、亜紀ちゃんがおこっている声を出している、とぼんやりと思った。

 「それは自分が悪いんじゃない…違う…ううん…だから…」
後の方の声は、音量も下がっていて、はっきり言って聞き取れなかった。これは間違いなく電話だ。だって、お父さんもお母さんも、まだ二人とも1階のお部屋にいるから。
 今日は特別に蒸し暑かった、私はふいに、しっかり羽織っているパジャマのことがうとましくなって、今日はTシャツで寝ようと思い、ゆっくりした手つきで上着パジャマのボタンに手を掛けた。
 自分が立てる動作の音で、、もう隣の部屋の音が聞こえてこない。
おこった亜紀ちゃん。 電話の向こう越しにいるだろう、亜紀ちゃんの話し相手のことを憎らしく思った。なんで電話なんかでわざわざ亜紀ちゃんを怒らせてしまうんだろう。みっともない人。
 しばらくして、私はすやすやと眠りの中に落ちていく。


 高田君の姿を目にするのが、とても嫌だ。というより、気恥ずかしいというか、みじめな気持ちになる。と同時に、なんで高田君ごときにーこの言い方はひどいけど、今はそんなことも言ってられないー私は悲しい方向に振り回さなければならないのだろう、と思ってしまって、それもまた少しだけ苦しかった。
 相変わらず、さきちゃんは私の見方だった。ううん、友情の誓いを立てたあの日から、「人生のパートナー」として。そんなパートナー、むしろ次穂にとってのスーパーマンのさきちゃんも、四六時中次穂のことをかまっていられる訳にもいかない。例えばこうして国語の授業を受けているときなんかには、さきちゃんはどうしても彼女の席、私の斜め後ろに座ってじっとしなければならず、私とさきちゃんの間に見ただけの距離ができる。

 「…ごめん、えっと、国語の教科書忘れてきたみたいなんだ…」
 授業が始まって5分後、高田君は妙にどぎまぎして、さも申し訳なさそうに私にそう告げた。勘弁、教科書のたぐいをあなたは決して忘れないで! 角刈りにしている高田君の頭部だけを見ると、なんだか彼のことがイグアナのように思えてきた…。 ざらっとした、奇妙な質感のある、あのイグアナだ。 何を考えているか分からない目をして、ざらざらの皮膚をまとって、人間に歯向かってくるあの感じ。

 仕方ないので自分の教科書を二つの机の真ん中に置く。あぁ。
なるべくばれませんようにと思っても、クラスメイト達はこざとく気付く。 例の、給食のときの”赤面事件”ーさきちゃんが、賢慮にもそう名付けたー以来、クラスのみんなが私と高田君のことを「そういう」目つきではやしたてるようになった。私は努めて影響されないふりをした。それは自分ではけっこううまくいっているように思えたけど、周囲の過剰反応は高まるばかりだったし、それに次穂も次穂で自分が完璧な存在でないことが分かっていたので、こういう風に”突然教科書を見せてくれるように頼まれる”シーンが起こるのには困った。覚悟もしていない事柄なので、心の準備が整わないのだ。高田君は何やら勝手にどぎまぎしているし。すると、私まで何か変にどぎまぎしてくるじゃない…。

 今の時間中、なるべく高田君と目が合わないように気をつける…。教科書の左のページと、それから黒板とノートだけ見ていればいいんだ。

 「…じゃあ、次のページから、誰かに読んでもらおっかな。」
若くて可愛い先生が、今日は珍しく眼鏡をかけてーオレンジ色のフレームの、私にはないとても明るくて元気な印象だー、そう言った。
 「それじゃあ、今日は7月20日だから、足して27! 出席番号27は…小宮さん、だね。」

 ぎくっ。
 「はい…。」 私を当てるなんて、まだこの高田君と教科書を共有しているという事実を、知らない人もいたはずなのに…。 思った通り、私の名前が呼ばれたことで、視線は一気に次穂ーそれから隣の高田君ーに集まった。そして、気付かれる。
 「あら、そこは、どっちか教科書を忘れたの?」
次穂は黙って下をうつむいた。すぐに、
 「はい、ぼ、ぼくが忘れて、それで小宮さんに見せてもらっています…」
という頼りげのない声が返った。
 担任の先生は、若くて、そして若いわりには色々と気のつくいい先生だったけど、今の私を取り巻く環境のことを、おそらく未だ知らないのだろう…。先生は見方にはなり得ず、したがってそうえなければ敵である。事態を好ましくない方向にもっていく。
 「そう。 高田君、今度からは気をつけてね。 じゃあ小宮さん、悪いけど、そのまま高田君も読むことができるように、座って朗読してね。」

 「分かりました。」次穂は小さく告げた。
それから私は黙々と、いつもは楽しいはずの教科書朗読を始めたが、そのおかげで右ページ、ひいては高田君の姿も視界に入り込まざるを得なかった。
 ”人生って、苦しいこともあるよね。”
学校の帰り道で、いつか独り言のようにそうつぶやいた、さきちゃんの言葉が蘇る。さきちゃんはまだ子供なのに私なんかよりずっと頭脳が明晰で、たまにつぶやく言葉には恐ろしいほどの説得力が宿る。 人生って、苦しいこともある。今が苦しいときだ、間違いない。

 次穂はあくまでも冷静さを装って、その苦行に身をひそませた。


 「つーちゃん大丈夫? 今日はなんか、怒ってるね。」
優しいさきちゃんが言う。校庭にある巨大な遊具の中にある、あまり人気のないマイナーな鉄棒コーナーの片隅。 
 外はさんさんと太陽の光が空気を包んでいて、そして所々に植えられている背の高い樹。 木の葉は光を浴びて、色素の薄い、透き通るような若葉色に染め上げられる。風を受けて、僕たちは元気なんだ、生きているんだよ、と、全力の力をもってたなびいている。
 「怒ってはいないよ。でもね、でもね、」
 「国語の時間?」
 「…それもあるかな。」

(筆者注・ここで下書き保存された文章は終わりです)

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橋本奈々未へ①

橋本奈々未へ捧げる


 ……彼女はこれからも夜の静寂に独り起つ紺碧色の眼をした小鳥の如く、無限の樹海の中をさえ逞しく、強く、鮮やかに彷徨していくだろう。そしてその彷徨は未だ誰も見たことの無い奇跡的な〈誕生〉へと向かって行く――。何があったろう。何が待っていたろう。許せぬ果てへの強靭たるの為に? 彼方へ? 行方も知らぬ見果てた国の更なる奥地へ、あぁ奥へ。その中で彼女は知る、無限と有限の狭間を、知を、愛を、識る、決して勝利することの無いしらばっくれた神の許へ、人類を独りとして代償にすることはない、紺碧の夢へと向かえ、そして誘え、我と、我の使者を、速く、得も知れぬ化け物のようなミストラルへ、往こう、いざ。そのとき私は貴女を永遠に分かつだろう。



なんか書いてたらハスミシゲヒコ的な感じのが体に乗り移ったような気がします。橋本奈々未と蓮実?笑
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Hallelujah(最初だけ)

Hallelujah

 治療室から戻ってくると、エアコンから送られる暖かな空調にSは感動するものを覚えた。個人経営の小さなクリニックの歯医者はSの知っている限りでは東京の最先端の歯学を完璧に習得し、洗練された治療と「居心地の良い実に快適な」空間のを提供していたので、患者の予約が常に殺到しているのだった。ただどういう訳かその日は空いていて、Sの他にはくたびれたスーツに包まれた若いサラリーマン男性が仕事の合間を縫って診察を待っているだけだった。待合室は空色がかったすっきりした印象を与える壁で、ピンク色のソファが置いてあった。「お疲れ様でした」と先生の声が治療室の方から聞こえ、Sは半ば自動的に頭を下げるとソファにゆっくり腰を降ろした。
 右の奥歯の痛みがとれている。それはSにとって実に爽快な出来事だった。あれほど肉や魚料理を食べる度に苦労し、イライラと神経はすり減っていく日々とはお別れだ。ハレルヤ!なんて思わず口ずさんでしまう気持ちだった。
 Sの斜め横には受付カウンターがあって、Sがくつろいでいる間に先生の奥さんでもあり助手をしている夫人が戻ってきた。彼女はマスクを着けたままSに笑みを向けると事務仕事をはじめた。そこで私はふと尿意を感じはじめた。トイレはどこにあるのだろうか。Sはあたりを見回したが、それらしき表示は見当たらない。Sはソファから立ちあがると、夫人に尋ねた。「すみません、トイレはどこでしたっけね」夫人は顔を上げると横髪を華麗に揺らしながら「トイレは実はこの下の階にあるんですが、ちょっと分かりづらいんです。私がご案内します」と言った。ここは地上なので、下の階があるとは要するに地下ということだ。果たしてここにそんなものがあったか、とSは疑問に思ったが、それは口に出さずに「いえ案内なんて。道筋を教えて頂ければ」と言った。
 「いいですよ、本当に分かりにくいですし。ご案内します。どうぞ」夫人はそう言って受付から出てきた。Sは申し訳なさそうに「じゃあお願いしますね」とだけ言って夫人の後についた。
 夫人は待合室の横の、普段はカウンセリングルーム――インプラント治療の事前説明や、持続的な歯の治療計画を患者に説明する際などに使われていた――として使っている奥まった部屋を横切って、さらに奥の非常階段に続いた。緑の暗いランポプが下へと続く階段を照らす中、夫人はSの二歩先を歩いて誘導した。Sと歯医者夫人の二人分の靴の音が異様なまでに寂しくコツンコツン……と響く。「お母様は」と夫人はにこやかな表情を浮かべてSの方を振り返った。「お母様は元気にしていらっしゃいますか。最近お見えになられないようなので……」Sの母親も同じこの歯医者にかかっているのだ。Sの母親は医者という人種が特に好きで、よく「お医者先生、先生」と親しげな関係を彼らと交わしていた。Sの母親はその「歯医者先生」にSの私生活のことまでべらべらと話すし、先生の奥さんである夫人にSの普段の生活模様が筒抜けになっているのだった。Sはどちらかといえば治療室の中では寡黙な方なのだが。「ええ、元気ですよ、ただ腰の方がね……」「ああ、奥さまは腰をだいぶ痛められていましたよね!」「はい、その後結局入院しちゃったんです」
 「そうなんですか? 入院?」とその時になって夫人は下っていく階段から眼を転じてびっくりしたようにSの方を向いた。Sは軽く弁解するように、「でも、もう退院しました。一週間くらいの……そう、一週間で退院ですね。ええ。今も週に一回外来診察に通ってます」
 「そうだったんですね……大変でしたね」
階段はある所までくると百八十度向きを変えて再び下降し、以前として非常階段であることを示す白と緑の妖しい光が二人を照らしていた。すると地下の踊り場のような場所に着いた。そこの地面はゴツゴツしたコンクリートで足場が不安定で、おまけに雨が何かの水でびしょびしょに濡れていた。広い空間には、天井には眩い白色灯が吊るされてあってその光の強さは下からでは直視できない程だった。まさに地下室というべき場所で、非常に危ない場所だと咄嗟にSには思われた。Sと夫人が階段から到着した場の奥の方に、男性トイレ・女性トイレを示す黒と赤で塗られた人形のマーク印が見えた。最も男性トイレは半ば開放されており――女性トイレは堅牢の如く扉に閉ざされていた――、二人が立っている位置からでも内部が見えた。Sはそこで「それじゃあありがとうございました」と言ったが、夫人は柔らかい表情を変えずにただ頷くだけだった。……

『パララックス・ヴュー』メモ書き(1)

パララックス・ヴュー

 スロヴェニアの現代哲学者ジジェクは、難解な文体、ドイツ観念論からフランス政治哲学、そしてもちろんラカン精神分析学、そして何より大衆映画作品の分析などを盛り込んだ、「圧倒的な書物」を世にばんばんと送り出す魅力的な哲学者である、と僕は思っている。哲学の入門もクリアしないままこの哲学者の著作にあったとき、笑っちゃうくらい彷徨したのだが、カントのアンチノミーとかヘーゲルの主人と奴隷の弁証法などの用語に耳慣れてくると、徐々にジジェク著作は読めるようになってくる。これは僕の実感である。ジジェク以外の哲学と対峙し、何かしらを必死こいて理解しようと努めたり、あれはこうではないか……?と考える日々を経由してまたジジェクの違う著作を読むと、以前よりまた一つ読解が進歩している。読者にはむしろサービスも、しかし無料のサービスでは済まさないのが、ジジェク流のやり方なのだ。

 ジジェクの哲学文章の下敷きには、繰り返しになるが、以下の要素が大きく関わっている。

① ラカン精神分析学。もちろんフロイトのそれとの共通点、差異。
② ドイツ観念論。カント、ヘーゲルを筆頭に、フィヒテシェリングなどは毎回持ち出される
③ フランス政治哲学 アラン・バディウジジェクのお気に入り。ラクラウ、ジュディス・バトラー(こちらは精神分析にも関わる)、アルチュセール
④その他の哲学者 ドゥルーズデリダらポスト構造主義者、ニーチェデカルトといった近代哲学者
⑤ハリウッド映画

これらを題材として、ジジェクは縦横無尽に哲学を創り出す。しかし彼の整理や解釈は見通しが良く、「あ、そういうこと?」と見方=視線に新たな方向を与えてくれることが多い。それもジジェク哲学の魅力。

 僕は『厄介なる主体』という2巻本の著作に触れて、この哲学者を読み解きたいいつかは、と思っているのだが、何せ彼の著作が膨大で一作一作も重厚なので、いつになることやら。
まがりなりにも完読したのは『厄介』と『否定的なものへの滞留』(再読しなきゃいけない)、あとは『ラカンはこう読め!』くらいなのだが、

とりあえずこれから大著『パララックス・ヴュー』を読んでいこうと思う。
哲学書を読むときは、自分の中でまだ形を持たない概念が光のように現れたり消えたりするから、それを追いかけるために個人的なメモ書きもたまには必要なのです。だからこれは読物では到底ない。

 しかし、『パララックス・ヴュー』は間違いなく面白いだろうし、これを読み切った僕は、以前とはやはり何か違う感覚、ビジョンを手に入れているかもしれない。そのために読みます。

今回は宣言だけで終わっちゃったけど、読書は気ままに進めていきます♪ 笑