書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #4

 ナイトとの恐るべき決戦。

 「反文学」のいつものグループ会議(基本的には週一、あとは要望があれば任意で他の日に開催されることもあった)で、僕たちは互いの作品をけちょんけちょんにけなしあって、疲弊した後、濁りそうになった空気を元に戻す為に全く違う話題をお涙程度に披露したりするのだった。しかしそれはそれで面白かった。どのみち現代人は孤独に飢えていて、インターネットを介して大人数で声のやり取りをするのはそれだけでもかなり面白かった。一見皆の仲がほどほど良かったのもグループ会話の旺盛に拍車をかけていた。

 あるときのグループ会議で、ナイトはいきなりフランスの批判というより悪口をただだらだらと述べ始めた。フランス人は自己中心的で自慢ばかりする、エゴイストばかりだ、だからフランス文学はつまらないんだ、フランス中心主義には目も当てられないよ……彼の話を古井や公房といったメンバーは慎重に、あるいは同意して聞いていたかもしれない。ちなみに、ナイトと公房は同じ大学の先輩と後輩関係で、二人揃って同じドイツ文学のゼミナールに所属していた。だから公房が先輩のナイトの話を興味深く聞くのは頷けた。僕ははじめから公房を尊敬していた。公房はかなりセンスの鋭い作品の書き手であり、同時に頭も最高に良く、批評や哲学にも通じていた。ナイトだってある種の天才性のようなものはあったかもしれない。ただ、僕はナイトはナルシストだと勝手に思っていた。そう思うような個人的エピソードがあったからだ(これについてはまた後述する……
)。
 とにかくナイトがフランス批判だのフランス非難だのの罵詈雑言を紡ぎだしているとき、僕は一切声を出さなかった。なぜなら僕は総体においてフランスの愛好者だったからである。

 そこで、次の日、僕は平静を装ってナイト個人のスカイプにチャットを送ってみた。個人的に話がしてみたかった。というか、彼の行き過ぎたフランス批判に、僕は我慢ならないものを覚えていたからだ。だからその辺を聞いてみたかった(か、純粋に議論してみたかった)。彼は今は昼ご飯を食べているので、適当な感じでもいいなら、通話もできる、と素っ気なく返してきた。僕は仕方なく通話のダイヤルを押した。
 ナイトはカップラーメンか何かを食べている様子だった。直感で分かったのだがナイトもまた僕のことを嫌っていることが薄々感じ取れた。まったくつまらないことだった。しかし僕は敢えて話をしてみようと思った。

 昨日。フランスの話しましたよね。
 え? あぁ、したね。
 あれ、ちょっと僕は言ってなかったんですけど、あんまりだと思ったんです。ナイトさんは、フランスを馬鹿にしすぎじゃないかと。一体フランスの何がそんなにダメなんですか?
 ……というと?
 いやね、僕はフランスが普通に好きなんです。文化や、歴史なんかも含めてね。だから、ちょっと我慢ならなかった。
 ……ミステイさん、一つ聞いてもいい?
 はい。
 あんた、前から思ってたんだけど、哲学者とか文学者をアイドルみたいに思っていない?
 は???
 いやさ、ミステイさんが語るドゥルーズだとか、サルトルだとか、なんだかいちいち偉そうに聞こえるんだよね。あんた確かアイドルも好きだったよね。アイドル視してるの?

 この人は何を言っているんだろうと本当にびっくりした。同時に怯えた。僕が哲学者をアイドル視? 意味が分からない。僕は確かにサルトルドゥルーズが好きだったが、それと彼らの著作を真面目に読むこととは全く別の問題だ。

 僕はやるせない気持ちを必死で隠しつつ、そのような当たり前のことをただ淡々と述べた。すると、ナイトもとりあえずふーんとだけ言って、引き下がった。

そのあとは、もう会話をするのもいたたまれなくなって、二人とも沈黙が続いた。だから、この通話は終わった。そしてこれ以降僕がサシでナイトと通話することは二度となかった。

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #3

ちなみに、「反文学」の連中は、Tfillのグループ会議(総会、などともったいぶった呼び名で呼ばれたりもしていた)にも参加していたりするので、このあたりはごっちゃだった。というより、Tフィルの中で特に仲が良く気質も似ている連中がいるなということに気付き、そのことを一番の年長のOさんに話したら、彼が言ったのだ、「じゃあミスティさんも一度ウチに来ればいい」。

 最初に言明しておくと、「反文学」で得た知的モチベーションは素晴らしいものだった。僕はここで初めて本格的な批評――本当はただの叩かれ台――を受けることになったし、最初に共読した哲学書はマルクスの『ヘーゲル批判哲学序説』だった。
 僕は、それまでで純文学的な傾向のある短編のなかでちょっと自信のあった「奇妙な食卓」という小説を叩き台に出してきた。これは評価はマチマチだった。ひるさん(女性、生活など一切不明)がここはもっとこうしたら、とかこういう表現に変えたらもっと良くなるのに! などと好意的なことを言ってくれたことはよく覚えている。どちらにせよ、これが僕の「文学的」洗礼だった。
 哲学書のほうは特に問題がなかった。哲学でちゃんと話し合えるのは、古井と、公房、そしてOさんと僕くらいしか居なかったけど、別に問題もなかった。この際古典哲学をきちっと読んでおくのも絶対にためになると思われた。

 「反文学」のメンバーは僕を迎えて活気が増したように思われた。連日のようにグループ会議が開かれた。ひどいときには、みんなが寝落ちしてしまうまで続く(それは続くと言えるのだろうか)こともあった。だけど、みんなが文学や芸術に向かって楽しい時間を共有していたことは間違いなかった。僕は今もそれをずっと感謝している。

 ここに、僕とそう年齢の変わらない二人、ヤケド(男性、介護職)とバイソン(男性、会社員)が時たまやってくることがあった。ヤケドは佐々木中保坂和志のファンであるらしかった。僕はこのヤケドがどうにも苦手だった。それが信じられないところまで亀裂を生むことになる。
当時は僕が覚えている限り最もメンバーの仲が良かった頃だ。Tフィルのグループ会議と、「反文学」のグループ会議以外のところで、僕もたびたび人とSkypeで通話をした。

 ヤケドとバイソンと三人で話をしたことがあった。話は大西巨人の『神聖喜劇』に及んだ。ちなみに大西巨人は昭和?のまさに巨人のような作家で、『神聖喜劇』は全4巻からなる膨大な小説である。 僕は何かの折に大西巨人の『神聖喜劇』を図書館で探していて、その時第一巻が他の人に借りられていた。だから僕は諦めて家に帰ったわけだけど、そのことをヤケドとバイソンに話したら、二人ともやたらニヤニヤしだして(というのもその顔はパソコン越しには見えなかったわけだが)、「え、ミステイさん、借りてこなかったんですか。第一巻がなかった? じゃあ二巻から読めばいいじゃないですか。ははは!」 この人は何を言ってるんだろう。おかしいのだろうか。僕は普通に反論した。「話が最初から分からなかったらきついですよ。というより僕は普通に第一巻から読みたい、それだけのことです」 すると普段は優しいバイソンまで、「ミステイさん、本の読み方はいつも一つではないんだ。それこそ無限にある。ミステイさんはミステイさんの読み方がある。つまり、『神聖喜劇』を第二巻から読み始めるのだ。それがいい。絶対それがミステイさんの読み方だ。ぜひともそうすべきだ」「そうだ、そうだ」 僕は恐怖を感じた。このとき、ヤケドとバイソンが実はとても仲が良いことに気が付いた。二人は何か結託しあっているように思われた。二人が結託して、この僕をからかっているのだ。僕は腹が立った。何も言うことができなかった。その日の晩は、早めに会話から離脱した。

 また、「反文学」のうち、よるさん(男、大学生)に対する敵意を抜きにこの回想録を完成させることはできない。
 よるは、こう言ってよければだが、ドイツ人そのものだった。ドイツ文学を骨の髄まで愛し、ドイツ文化を好み、まるでドイツの為に生まれてきたような人だった。これはあくまで僕から見た「よる」の姿である。「よる」をナイトと言い換えよう。ナイト=騎士は、そして危険な香りをいつも漂わせていた。

 最初に「反文学」の集まりにナイトが現れたのは、3月頃だった。そのときナイトは、呂律が回っていなくて、これは薬の副作用なんだという繰り言を述べていた。電話(というかPC)の向こうに猫の鳴き声が聞こえた。「男ってほんとみんな猫大好きだよね。猫飼ってる人ばっか」とひる(女、不詳)は言った。僕は何となくナイトは精神的に抱えているんだなと思った。あとで話を聞いてみたら、僕とひるとナイトは同学年、同級生だった。

僕もまた、ナイトと一悶着あった。

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #2

一人で小説は書かないといけない、しかし本当にたった一人で小説を書くことはとても困難だ。

 巷には小説投稿サイトというのがいくつも流行っていて、何やら人気ランキングみたいなものを掲げているのもあるんだけど、そういうものを読んでも自分の書きたい純文学っぽいもの(ここでは敢えて純文学という言葉を使っているが、当時は純文学がどういうのかすら分かっていなかったのだから、まさに水の上を泳ぐ魚だ)が評価されたり話されたりするようなのってない…… というか、純文学っぽい投稿サイトはない。あったとしても、書いている人はほぼいない。仮にいたとしても、その人はなんだか無敵の論理と罵詈雑言をコメント欄と相互で吐いているのだ。

 投稿サイトは小説を書き始めた20歳のころからちょくちょく使っていたが、自分の作品のストック場という感じで、たんたんと書いていてもまず普通に読んでくれません。当たり前。労力のいる読み物をだれがわざわざ読むのか。

そこで僕は思いつく。文芸サークル…… 殊に、やたらファンタジーとライトノベルを書きたがる中学生たちではなく、大人の社会人文芸サークルはないものか、と。
 
それは読書会という形でなら大阪や東京には存在したが、僕の地元・岡山にそんなものが都合よくは現れなかった。

さらに僕は進路を取る。SNSで探してみてはどうだろう。個人でもいいし、何か、そういうサークルめいたもの……

そして調べて、気を抜いて、調べた後、あったのである。
webによる文芸同人団体。

「T fillハーモニーオーケストラ文芸団」

 音楽団体? 文芸団体?

判断に迷ったが、ツイッターのプロフィール欄にははっきりと「熱い同士をお待ちしています」という文字と、サイトへのリンクが示されてあった。
僕はこの奇妙な名前の団体、「Tfillハーモニーオーケストラ文芸団」をかくして知ることになった。この団体が基本的に僕を根本的に変え、期間X以後の僕、すなわち「文学的人間たるの僕」を作り上げた原型だったのだ。
Tfillハーモニーオーケストラ文芸団

 これはweb上での、つまりインターネットを介した文芸の同人団体の名称であるが、僕はここに2014年3月から2015年3月の一年間在籍することになった。今から振り返ってみれば、僕が単なる夢想家から少しでも高い壁を突破したいと本気で考えるようになる、その本気で考えるというかなり面倒な手続きのエネルギーを与えてくれたのがこの一年間だったといっても過言ではない。

Tfillハーモニーオーケストラ文芸団(Tフィルと略す)の「T」は、Twitterの「T」だった。つまり、TフィルはTwitterをメインに使っていた。三か月に一度「部誌」と呼ばれるweb上の雑誌を作るために、特集テーマを決め、それから原稿を募り、原稿の締め切りが来たら校正・推敲期間に入る。そして完成された作品がホームページ上やpdfファイルとして作成されるわけだ。
僕が所属した一年間の中でも、数えきれないメンバーが交流し、喧嘩し、笑い合い、出ていった。
その中でも、この物語において最低限必要なメンバーはそれなりにいる。名前をどうしようと思うのだが、Iさん(男、教員)、よるさん(女、不明)、ひるさん(男、大学生)、公房(男、大学生)、Oさん(男、建設業)、ヤケド(男、介護)、モー(男、会社員)、それから古井(男、不明)だ。

順を追って説明していこう。

IさんはTフィルの部長。しかし、この人は僕が所属していた間、現実の仕事に追われていて、コンタクトを個人的にとりはじめてから仲良くなったのは秋ごろだった。

ここで注意しなくてはならないのは、よる、ひる、公房、O、そして古井の「五人組」は、Tフィルの中にさらに下部組織「Anti-Literture」(反文学)を造っていた。彼らはおもにマルクス主義の哲学書やドイツ文学書を読みあい、読書会を一週間に一度行っていた。また、時としてメンバーが書いた短編作品の合評なども同時に行っていた。

最初にTフィルに入ったとき、作品を書く動機づけと、発表できる場が与えられただけでも、とても嬉しいと思った。特に、好きな作家などで話が通じる人も何人かいて(僕は当時それなりに村上春樹の長編作品などを読んでいたのと、哲学書をかじっていたので、だいたい哲学方面に詳しい人として措定された)、仲間がすぐにできた。

Tフィルでも、web雑誌に発表された各作品は時間をおいてから、メンバー同士で互いに読みあって、批評(感想、批判、称揚)をする。そのとき使っていたのは、PC上のSkypeのチャットやグループ会話だった。
 僕は、趣味を同じくする者同士の、主に夜から深夜にかけて行われるグループ会議というものの楽しさと罠にハマってしまったのである。

これらはまだ3月に入った頃だ。僕は次第に「反文学」の奴ら(の方が概して小説や哲学書を読んでいるし、書いているもののセンスもいい)に尊敬を覚えたり、憧れたり、文学や哲学の会話をすることが多くなった。僕はそのうち、「反文学」の読書会というグループ会議に参加していくこととなった。

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた#1

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #1

これから、ある一定の期間における過去を簡潔に(といっても簡潔にはならないのだが)振り返ろうと思う。
 例えばその期間をXと呼ぶことにしよう。期間X以前の僕はどうだったかというと、大学を何回も留年し、普通に落ちぶれた、しかもあまり良くない遊びも覚えた大学生だったと言えよう。
 大学を中退して去ったのをキッカケに期間Xははじめられたわけだから、期間XないしX以後における僕の身分は「フリーター」と「ニート」を行ったり来たりする。定職にはついていない。それも後々明らかになる。ここには小説家を目指そうとして常に中途半端な努力しかしてこなかった情けない男のしがない20代の人生が語られるだろう。
 はじめから、血の凍るような、あるいは反転して血が滾るような、そういう形容を用いずにはいられない、「実存の叫び」--僕自身という存在の咆哮は、くぐもり、あけっぴろげられ、虐げられ、迷走し、空中分解するのである。
ただそれを振り返ってみるだけだ。

 この内容がうまくいけば外部ブログにも自分でコピペするつもりだが、やっぱりmixi日記というツールの、肩をはらなくてよい適度なプレッシャーだけを身に受けてこの文章を書き進めていきたい。

 とにかく、期間Xというのは、2014年の2月にはじまる。僕はいよいよ大学を中退し、手続きも足早に済ませ、親に来てもらって一人暮らしの机やら冷蔵庫やらを一気にまとめて地元に帰った。
 もちろん、とりあえずの就職先が目下の目標だったに違いない。しかし僕は並大抵の人間ではない。ある意味狂人だ。だから普通の就職先を普通に考えて就活しようとする意志のようなものがない。
 簡単に説明すると、僕はこのとき小説家として自分の人生をデザインする途はないかという最後の賭けのようなものを考えていたのである。
 僕の親は、僕が小さい頃から莫大なお金を学費と塾、そして習い事の定番であるピアノ教室代を払い続けた。
 おかげでちょこちょこ才能と呼ばれうるようなものには巡り合わせが良かったのかもしれないが、苦労の味も、挫折を乗り越える強きマインドネスのようなものも全く知らなかった。

 その男がまさか、大学、しかも4大をすら卒業できなかったら、基本的には無意味である。そう僕には思われた。確かに大学で学んだこと、というより大学の環境で学んださまざまな知識や本やゼミや経験はほんとうに素晴らしいものだったが、肝心の「卒業証書」なくしてはただただ泣き目を腫らすだけだ。僕は膨れ上がった頭の中で、次第にこう考えるようになった―――

僕のアイデンティティは知的活動であり、それを生きる(食べる+楽しむ)ことにつなげていくしかない。

音楽は鼻から対象にならなかった。僕のピアノはお粗末なものだし、ベースもバンド人間としてもアマチュアで十分だった。

小説を書く――そして、いつしか有名な小説家になる。僕の大好きな本。本を出版すること。
僕の亡くなった祖父は、還暦を迎えてから自費出版で自分の教師としての歩みを一冊の本にまとめた。10年もしないうちに祖父はなくなった。
 自分が死んだときに、何か世の中に形として残しておきたい。それを考えたときに僕がすぐイメージしたのは、本売り、というか、小説家になって小説や哲学書を書くことだった。

とりあえず、2014年の2月。 親には、コンビニのアルバイトか塾のアルバイトかの二択で迷っていると言っておいて、僕は小説をどうしようと思っていた。

最大の難点は、小説は一人で書くにはあまりに世界が広がらないという事だった。

森の神話学――大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』

 目次

 序章 M/T・生涯の地図の記号
 第一章 「壊す人」
 第二章 オシコメ、「復古運動」
 第三章 「自由時代」の終わり
 第四章 五十日戦争
 第五章 「森のフシギ」の音楽

 Wikipedeiaによると、この『M/Tと森のフシギの物語』はノーベル文学賞の検討に際しての参考作品の一つに挙げられているらしい。ノーベル賞の受賞理由は以下のとおりである。
”詩的な力によって想像的な世界を創りだした。その世界では生命と神話が凝縮されて、現代の人間の窮状を描く摩訶不思議な情景が形作られている。”

 この摩訶不思議な情景、世界というのは四国の森の世界であり、本作は大江の森体験における非常に重要な作品となっている。岩波文庫の本書の終わりには大江健三郎自身による解説めいた「語り方(ナラティヴ)の問題(一)」「語り方の問題(二)」というあとがきがついているのだが、まさに「語り」が重要なのである。

 本書は語り手「僕」によるですます調が用いられ、「僕」が森・村の昔話をポツポツと立体的に語っていくといった口調で語られていく。しかもそれは、祖母の実に奇怪に満ちた村の伝承にまつわる話を語り手の「僕」が幼少の頃を思い出しながら回想していく……という形をとっている。それは次のようである。

――とんとある話。あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば無かった事もあったにして聴かねばならぬ。よいか?
――うん!
 それは昔の実際にはなかったことを、話で語られるとおりに、それらのことはそのまま現実にあったと、過去を造り替えてしまう、そういう作業を行っていることではないか? 僕は漠然としか自分の心の中で言い表すことができない、しかし根強い恐れを抱くようになっていたのでした。

 そして祖母が明かす森と村にまつわる話は、第一章の「壊す人」や第二章のオシコメなど、摩訶不思議で面白い話ばかりである。「壊す人」はその昔、村を主導して基礎を作り上げた伝説的な人物(?)であるのだが、とにかく体が大きく、しかも死んでなおその存在を続けているという人知を超えた、「神話」ならではの存在でもある。オシコメは女性で、「壊す人」の女房役でもあり、「壊す人」が死んでからは代わって村を引っ張っていく、これまた体の大きい(それは普通人の十倍はあろうかという)神話的人物である。 このほかにも、メイスケさんと言われる人物など、森の伝承が祖母のリアルな語りと神話的人物たちのハチャメチャな活躍によってダイナミックに進んでいく。

 大江健三郎のあとがきと、岩波文庫の解説を書いた小野正嗣さんの分析を読めば分かるのだが、『M/Tと森のフシギの物語』は『同時代ゲーム』と話を同じくしていて、そうでありながら「語り方」や幾つかの挿話などにおいて、根本的に筆を書き改めたのがこの『M/Tと森のフシギの物語』だそうである。正直、登場人物たちの喋り方がうざったくて、後半になるにつれしんどい向きもあるが、終わりまで読んで、あとがきと解説を読むまでいくと救われた気持ちになるそんなつくりである(笑)

詩二つ

パレード

小人たちは歩く
歯の上 歯車の狭間
そこは 血塗れの
床と 受苦で満ち満ちている
痛みをさしだすのだ 薬に代えてやろう
熱を冷ますための
水滴 ひばりの声

小人たちは踊る
葉の上 樹海の森
水滴が 恍惚を含み
歌は讃えるものとなりて
るるるらら なんて きれい
夢の中を行くのだ 子供たちがいるだろう
光の子供たち
僕ら みんな 待望

痛みと石の上の
水の中のナイフ


(憧れ)

ヘンリー・ミラーのように
甘く 美しく おぞましく 皮肉にみちた
いろどりで
ことばを散りばめたのなら
この世に 新しい財宝が生まれる
だれも 彼のようにはなれないけど

ルイ=フェルディナン・セリーヌのように
黒く 不吉で 汚く 辛辣な
パッションで
沈黙さえも 文の一つさ
Hail! Hail! Hail!
彼を探し出すのだ
でも現代のセリーヌはどこにも見当たらない

交感し、交歓
あるいは ただの直進
彼らを出来させるのは
この手の上で あるいは
純粋な白紙のもとに
血の印を交わそう
文王の証し

不透明さという苦しみ――鹿島田真希『六〇〇〇度の愛』

六〇〇〇度の愛 (新潮文庫)

六〇〇〇度の愛 (新潮文庫)

 鹿島田真希さんは僕の好きな作家なのだが、色々苦労が多いみたいで、「六〇〇〇度の愛」では三島由紀夫賞を受賞しているが、これが出た年に芥川賞を受賞していないということはよっぽどの強作がその年の受賞作だったのだろうと推測している(調べてもいないが)。これよりも「冥途めぐり」の方がより水準が高いとは僕にはあまり思えないが、それほど素晴らしい作品だと僕は思った。

 鹿島田真希さんはある種の男性的な作家に毛嫌いされている気がする。ここでその作家の名前を挙げる気は毛頭ないが、Amazonのレビューを見るにしても的外れな低評価ばっかりでこれには本当にびっくりする。芥川賞を取ってもこの調子だからなおさらびっくりだ。
 しかしそんなことは作品に関係ない。僕は「六〇〇〇度の愛」が素晴らしいと思ったからこの作品を取り上げる。

 女は混沌を見つめている。なにか深刻で抽象的なことを思いついてしまいそうになり急いでそれを中止する。やがて我に返る。彼女は努力する。正気に返ろうとして。その努力は並大抵のものではない。表面に細かい泡ができては割れていく。
 ステンレス製の鍋の中ではカレーのルーが沸騰寸前にまで温められている。鍋はあと五分温めればいい。ルーは甘口になっている。子供のためだ。女と、健康で善良な夫と、できのいい人材になるのか、まだ将来が約束されていないほどの小さな子供。そんな三人のカレーだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 子供が女のスカートをつかむ。ママ、お腹空いたよ、そう言って。もうすぐできあがるわ、女は答える。お腹空いたよ、再び子供が言う。女は子供にゼリー、一口で食べられるほどの小さなゼリーを与える。子供はそれを吸い込む。
――鹿島田真希『六〇〇〇度の愛』(新潮社、単行本2005、文庫版2009)pp.6-7

 この作品では会話中においてすら一切のかぎかっこはない。地の文に台詞が回収されていく。冒頭から漂う緊張感は、この小説の終わりまでずっと続いていく。

冒頭の一文、「女は混沌を見つめている。」 それは視覚的にはカレーのルーなのだが、鍋の中でルーはふつふつと不機嫌に煮えていく。それが「混沌」という言葉で換喩されている。
 「六〇〇〇度の愛」は、「女」と呼ばれる主人公が逃避行で長崎に行き、そこで若い青年と出会ってしばしのラヴ・ロマンスを繰り広げる、戯曲めいた作品である。しかし、「女」の頭の中は兄の死をめぐる過去や、キリスト教をめぐる思考でまさに「混沌」としており、しかも会話文だろうが回想だろうがとにかく地の文と一体化して綴られていくので、この文章全体が「混沌」と化していくのだ。
 人間の思考はしばしば愚鈍である。愚鈍でありながら、断片的に幾つかの事物を想起していく。まるでのろまな亀のように、しかし重々しく、「女」は兄の死をめぐる出来事、自身の宗教体験、読んだ本の宗教的な場面などを巡っていく。

 「六〇〇〇度」というのはズバリ長崎に落とされた原爆の温度のことである。すべてが混沌としている中で、生活の中でギラギラと煮立つカレーのルーのようにか、あるいは長崎に落とされた原爆のように、夥しい熱と爆発が「女」の思考を愚鈍に取り巻く。「女」は青年と性交し、彼を愛し、彼に愛想を尽かしたりしながら、この不透明な苦しみの意味を引き延ばしていく。

たとえば「女」がドストエフスキーの作品を挙げて思考するのはこんな場面だ。

 ドストエフスキーの『白痴』。この白痴という言葉はユローディヴィのことを示しているといわれている。彼の作品には必ずユローディヴィが登場するようだ。例えば『罪と罰』ではラスコーリニコフの罪を被ってニコライという男が自首する。予審判事ポルフィーリイはこのことに対して、熱狂的な霊感を得る。『悪霊』では乞食のような修道僧チホンがあたかも聖人であるかのように一目おかれている。最後にはスタヴローギンですら彼の目の前で自らの罪を告白するが、この男は彼の中に未だ眠る傲慢を見抜く。
 東京復活大聖堂には佯狂者のイコンが一つだけある。聖アレクシイという。イコンを説明する古い地図にそう書いてあった。しかし一人の聖人を佯狂者と認定するのは、極めてナーヴァスな問題らしい。……(中略)……
 女の無意識のなかに悪意がわきあがる。愚か者がくれる赦し。その美的な価値を女は見極めてみたいと思う。
――『六〇〇〇度の愛』pp.114-5

 このように、ドストエフスキーのことを語ったり、「女」が過去に訪れた教会についての執拗な記述を巡りながら、「女」は煮え切らない、混沌とした苦しみから救済されたいと考えていく。

 物語の後半から、「女」と青年は長崎の大浦天主堂に訪れる。現実に原爆を落とされた長崎と、「女」の抽象的な思考が重なってより面白くなる。
最初の最初から始まった異様な緊張感を保ち続けていくというのは作品を書く上で非常に難しい事柄だ。しかし、鹿島田さんは一つも妥協していない。会話や回想を織り交ぜた文体にはまったく隙がない。

 そんなうえで、たとえばこんな一節が不意に出てきて、なんて美しいんだろう、て思わされる。この小説を読むことが、不透明な苦しみを生きることでもあり、答えの出ない日常からそっと抜け出して違う世界を体験することなのかもな、と思いました。

 河を照らすのは太陽。直視できないもの。その光線は黒い。兄が、世界が、凝固せず流れていくことの哀しみ。しらけてしまって涙すら出ない。発狂も、幻覚も、暴力もない。ただ漠然と憂鬱であるだけだ。そのあまりにも黒くまばゆい輝きを私は直視できずにいる。言葉。それは流れて私の手の届かないところへ行ってしまうもの。感情。それは直視できない光。生きることに必要なものは皆、私の前で否認されてしまう。私は考える。この河と光を抱えながらなにを話そう。誰を愛そう。だけど私は話しもするし、恋愛もする。狂ったり、死んだりするなんてもってのほかだ。臆病という日常。その生活は支離滅裂だ。思ってもいないことを言ってみたり、好きでもない男に告白してみたり。毎日がオペラ。荒唐無稽だ。
 私は時々、シーツの中に潜る。怖いのだ。いつか自分の日常を後悔することが。オペラのように生きてきた自分に軽蔑することが。そんな私を見て、誰かが、優しい人が心配する。シーツごしに私に触れる。私はその人のことを傷つけたくなる。
――『六〇〇〇度の愛』pp.108-9