書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

プロジェクト「S」の整理(メモ書き)

 仮にある学問的な好奇心・探求心に基づく勉強、読書、ある目的を持った調査をプロジェクトSと仮にしておいて、そのSのためにも幾つか自分が内発的におさえておきたい文脈が整理できたのでここに書きます。

 ★ジュディス・バトラーという現代思想

基本的には『ジェンダー・トラブル』での華々しいデビュー、「性差は社会的に作られる」というパラドックス的テーゼ。
これ自体は、社会=環境が性の錘を引きずった個人に権力的に介入していく、という視点を斬新にも打ち出したのだと個人的には思われる。

『自分自身を説明すること』 この易しめのエッセイの中で、主体が主体として生きるための困難と責務を、とても分かりやすく書いている。
これをもう一度再読することで、「主体化とは何か」を考え続けたバトラーの議論を理解したい。

 加えて、バトラーには難敵・ジジェクがいる。彼らはラクラウと共に3人でよく分からない本も出しているが(『偶発性・ヘゲモニー・連帯』とかいうの)、
とりわけ「主体とは?」という正面からの問いであったジジェクの主著『厄介なる主体1・2』で、直接バトラーの議論を引き出して戦わせていたので、この章も精読する。

バトラー、ジジェクラカン精神分析)という線。

存在と生活の条件に関する文献リスト

新年明けました。

3月から4月にかけて、論文として1,2本にまとめたいと思っている内容が仮に「存在と生活の条件に関して」というものなんですが、この目的意識に沿ってまたあらためて哲学を勉強し直そうと思ったら、今にしてすでに本が増殖しすぎです汗
 少しまとめてみました。


「存在」に関するテーマ
(☆の数は重要度)

☆☆デカルト
方法序説
省察
☆ジャコブ・ロゴザンスキー『我と肉』……第二部がデカルト哲学に関する繊細な探求となっている

我と肉 (シリーズ・古典転生)

我と肉 (シリーズ・古典転生)

☆☆ハイデガー

「生活」や「お金」に関するテーマ

☆☆☆マルクス
共産党宣言
資本論 第一巻』
今村仁司

フォイエルバッハ唯名論と唯心論』

「人生」「実存主義」に関するテーマ
サルトル
『方法の問題』
『想像力の問題』
『嘔吐』(小説)
☆☆☆キルケゴール死に至る病

その他関連書

☆☆アーレント『人間の条件』

國分浩一郎『暇と退屈の倫理学

☆☆☆竹田青嗣『欲望論 第一巻 意味の原理論』
    『欲望論 第二巻 価値の原理論』

これらの本がどこまで読み込めるかわかりませんが、この冬春明け頑張ってみたいと思います

サルトル『方法の問題』を読み終えての雑感

実存主義とは人間学そのものである。
――『方法の問題』pp.178

 

サルトル全集〈第25巻〉方法の問題 弁証法的理性批判序説(1962年)

サルトル全集〈第25巻〉方法の問題 弁証法的理性批判序説(1962年)

今回はジャン・ポール・サルトルの『方法の問題 弁証法的理性批判序説』(1966、人文書院平井啓之訳)である。ガチガチの哲学書である。
 まず、『方法の問題』という本がどのような立ち位置であるかを説明しておきたい。これは、後の『弁証法的理性批判』という浩瀚な書物につながる、いわば序論を果たす論文である。しかしあまりの長さのため、「方法の問題」と銘打って単著として出されることになっている。
弁証法的理性批判』がどのような本なのかというのもとても説明が難しいのだが、僕個人の考えでは、たとえばマルクス主義といった哲学上の思想が理論面において、そして実践面(じっさいにマルクス主義共産主義社会主義として結びついて典型的な例としてはソビエト連邦という国家を作り上げたという歴史がある)においてどのように作動=過程をへていったか、といったことが、マルクス主義だけでなくサルトルの掲げる「実存主義」という哲学の立場から語られることになるのだろう。

 なので、『方法の問題』においてはズバリ 実存主義 vs マルクス主義 である。
実存主義」を打ち出したサルトルは、マルクス主義に一定程度の評価を与えているし、影響もされている。というより、マルクス主義をある面では称賛しつつも、ある面で手厳しく批判しているのがこの『方法の問題』だ。
 なぜ手厳しく批判されているかというと、マルクス哲学ならぬ「マルクス主義」とされる様々な哲学者の理論には様々な欠陥があった。現実の歴史的事象をうまく説明できていないのに、彼らは理論修正を行わずに、実践へと足ばやく赴いたのだ。おそらくそのようなことがサルトルの心情にあってこの本の第二章で長ったらしく書かれている。特にルカーチへの批判は凄まじい。一回も褒めてない(笑)

 マルクス主義には理論面にも実践面にも欠陥がある。だからそれを補おう、私の「実存主義」によって、みたいな態度が『方法の問題』の基本的な姿勢である(と思われる)。

それで、肝心の「実存主義」なのであるが、訳者解説やwikipedeiaなどで軽くおさらいはしたのだが、「実存主義とは何か」を簡単に語るのはとても難しい。ちなみに、「実存」の訳語を与えたのは日本の哲学者・九鬼修造であるらしく(訳者解説による)、もともと「現実存在」という言葉がちじまって「実存」という風に訳語としても定着した。 実存主義は、うーん、現実存在主義、である。 現実に、今ここに(私が)存在して生きているということ! その地盤の揺ぎなさを根拠にして、人間や社会や世界のあらゆる問題に立ち向かっていくのがサルトル的な「実存主義」=「現実存在主義」である。

 もちろん、サルトルはそう簡単に実存主義について定義をしたりしない。読んでいる最中でいくつも印象的だったりアッと思わされるフレーズがあったが、ここでは二つを紹介しておく。

つまり欲求とはつねに「……に向かって」自己の外部にある、ということである。これこそわれわれが実存と名付けるものであり、この言葉によってわれわれは自己のうちに落ち着いている堅個な実体を意味せず、たえざる不均衡、あらゆる物体の自己からの脱出を意味している。この客観化への躍動は個人によって種々な形をとり、可能性の分野を通ってわれわれに投企を行わせるものであるが、われわれは数ある可能性のうちのいくつかを他の可能性を拒否することにおいて実現するので、われわれはこの躍動をまた選択、あるいは自由と呼ぶのである。
――『方法の問題』pp.156

 〈投企〉という言葉は語源的にはある一つの人間的態度を示し(人が投企を行うのである)、それは実存的構造としてのprojetをその基盤として予想している。そしてその言葉はそれ自体、言葉として、人間的現実が〈前への投出〉projet である限りにおいてその人間的現実の個々の実現化としてはじめて可能になる。
――『方法の問題』pp.181

 1番目の引用では、これだけではよく分からないが、自己の欲求(たとえば食欲)は……(一枚のパン)に向かっているという点で自己の外部にある、つまり欲求は自分の欲求のように思えて自分の外にある、欲求に支配されないような主体=私のことを「実存」と呼びたいのだろうか。後続の、「あらゆる物体の自己からの脱出を意味している」というのは僕にはまだ分からない。

 2番目の引用では、「投企」が語られている。「投企」は『方法の問題』においてのキー概念であり、これはまたハイデガー哲学などによっても有名だ。この投企が「実存的構造」としてある限り、投企というのは前へ投げ出すことなのであるから、なんかよく分からないけど自己を前へと、未来へと投げ出すことによって「人間的現実の」「実現化」が可能になるのだという。

 まぁこれどころじゃないほど難解な記述のオンパレードなのだけれど、フローベールについてねちっこく語ったり、フランス革命ジロンド派がーロベスピエールがーとか(第二章)とかも延々と語っていて、まったく一筋縄じゃない書物でした。

 実存主義マルクス主義、投企、フランス革命フローベールやサド文学、などがキーワードです。

とにかくこの序論たる本書において実存主義マルクス主義よりも優位に立っているという事を証明して、いよいよ続刊の『弁証法的理性批判』でマルクス主義が勝ち取れなかったもろもろの未解決問題を分析し解析していこうというのが主な内容なんじゃないかと推測しています。『方法の問題』はこれで終わり。

ありがとうございました。

美しい不穏 ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』

 一緒にしなくていい、とピノチェト軍人が言った。一緒に来たまえ。あとについていくと、屋敷の裏の庭園を望むことができる大きな窓があった。満月の光がプールの滑らかな水面できらめいていた。将軍は窓を開けた。我々の背後から他の将軍たちがマルタ・ハーネッカーについて話すくぐもった声が聞こえてきた。花壇からは実に芳しい香りが立ち上り、庭園中に漂っていた。一羽の鳥が鳴き、すぐに同じ庭園あるいは隣の庭から、同じ種類の別の鳥がそれに応えた。そのあと、夜のしじまを破るような羽ばたきが聞こえ、やがて何事もなかったかのように深い静けさが戻ってきた。歩こう、と将軍が言った。まるで彼が魔法使いであるかのように、我々が大窓を通って魔法の庭に足を踏み入れるやいなや庭園の照明が点り、四方八方にちらばる明かりは趣味がよく美しかった。(『チリ夜想曲』pp.105)


 今回紹介したいのは、ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』(白水社、2017)だ。

チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)

チリ夜想曲 (ボラーニョ・コレクション)

 パラパラとめくれば分かるように、この中篇作品ははじめから終わりまで「改行が一度もない」。だから、場面転換や、主人公の妄想や錯覚に近い幻覚がたびたび起こっても、どこでそれが入ったのか、気付きにくい。一人の主人公の半生が語られているだけに、場面は展開していくが、そのことを文章レベルではあまり教えてくれない。
 作中には、エルンスト・ユンガーなどの実在の小説家も登場する。おそらく仮想の人物と、こうした実在の人物が混ざった、ボラーニョ特別の手法だ。

 主人公は、「死」の予感にまさに立ち会おうとしている。だから死ぬ前の「告白」を行っているのだが、それだけに不穏な緊迫感がいつも漂っている(改行がないのもそれを手伝っている)。解説の小野正嗣さんが書くように、一体どんな過ちを犯して告白しようとしているのか、というかどんな罪の意識があって告白をしようとしているのか、本作のストーリーを読むだけではよく分からない。だけど、いっつも不穏な空気が流れている。語られていることに、何かとんでもなく不吉なことがあるんだと読者は思わされる。それがすごく心地よい(集中が切れない)。
 文章も美しいものが多かったので、幾つか引用しました。 祖国チリに向けた、ボラーニョ自身の最後の愛情みたいなものがあるのかもしれません。

 それから、彼女なりに落ち着き、穏やかで勇敢な面持ちで辺りを見回すと、自分の家と玄関、かつて何台もの車が停めてあった場所、赤い自転車、木立、舗装されていない道、フェンス、わたしが開けた以外は閉ざされている窓、遠くに瞬く星を見、そして、チリではこうやって文学が作られていくんだわ、と言った。わたしは軽く頭を下げると、そこをあとにした。サンティアゴに帰る道を車で走りながら、彼女の言ったことを考えた。チリではこうやって文学が作られていく、だがそれはチリだけでなく、アルゼンチンでも、メキシコでも、グアテマラでも、ウルグアイでも、スペインでも、フランスでも、ドイツでも、緑濃いイギリスでも、陽気なイタリアでも同じことなのだ。文学はこうやって作られる。文学、あるいは我々がゴミ捨て場に落ち込んでしまわないために文学と呼ぶものが。(『チリ夜想曲』pp.143)

 そのあとには、糞の嵐が始まるのだ。(『チリ夜想曲』pp.146)

世界一の感性作家――『アナイス・ニンの日記』

 わたしは嘘で身をくるんでいるが、それらの嘘に魂を射貫かれることはない。わたしの嘘は他者の不安を鎮める「生の嘘」であり、わたしの一部になることはないというように。衣装のようなものだ。(pp.215)

 わたしが興味をもつのは核ではなく、その核が増殖し、無限に広がる可能性だ。核の拡散。しなやかに跳ね、跳ね返り、分裂する。広がり、覆い、空間を貪り、星をまたいで旅する――いっさいは核のまわりとあわいに。(pp.247)

アナイス・ニンの日記

アナイス・ニンの日記

 ここに紹介するのは『アナイス・ニンの日記』(矢口裕子編訳、水声社、2017)だ。ニンの日記の経緯からいうと、日記は『初期の日記』(第一巻)~第四巻までと、『アナイス・ニンの日記』第一巻から第七巻まで、実に六〇年以上に渡って記録・記載されたニンの人生そのものである。総ページは四万頁を軽く超えるという。それらの日記を編集し、訳しわけたのが本作ということになる。「アナイス・ニンの日記」と題された邦訳の既出本はいずれかの訳出であり、特に「アナイス・ニンの日記 第二巻」以降の訳出が今回初めてとなっているという(訳者解説より)。

 アナイス・ニンは、彼女自身が神秘のベールをまとった「水面下の存在」であった。そのあまりに華麗な美貌とスタイルも彼女の幻惑的な魅力を伝えているが、ニンは長らく躊躇っていたこの日記を出版することによって初めて日の目を浴びたそうである。それらの生々しい感覚と声が日記に綴られているのも本作の魅力だろう。
 とは言っても、日記以外にも彼女の小説はたくさん存在し、それらがどのように流通し、誰に読まれ、誰によって評価されたかなども、ニン自身の手によってこの「日記」のなかに軽やかに報告されている。
 『日記』に出てくる、あまりに豪華で巨大で劣悪な登場人物ときたら! ヘンリー・ミラー、アントナン・アルトーロレンス・ダレル、著名な精神分析家たち、そして江藤淳大江健三郎といった日本の作家も、ニンが老後で日本に旅行にきた際にちょこっと登場するのだから面白い。
 なかでも、ヘンリー・ミラーと彼の人生を大きく狂わせた(いい意味でも悪い意味でも)ジューンという女性とは、男女の三角関係、といってもニンは二人にとってあくまで良き友人として三人の親友関係を結んでいる。ジューンは途中で姿を消してしまうが、ヘンリー・ミラーとは長い親交を生涯にわたって結んでいる。結果的に言うと、ミラーの方が成功をはやくにおさめた。しかしそのミラーでさえ、売れてしまうと、かえって売れなかった頃の良き時代を思い出す始末……ヘンリーとアナイスがどこまでいってもお互いを尊敬し、尊重し合うという稀有な友情関係にグッとくるものがある。

 ニンは性と幻想に囚われていた。それは『日記』を読めば分かることだと思う。作品に書いて昇華せしめようとした動機づけもあれば、何人もの精神分析家に会って、結局彼らから恋された挙句、精神分析家自身を精神分析してあげるというわけのわからない展開も繰り返している(苦笑)。
 アナイス・ニンはどこまでいっても魅力の絶えない素晴らしい人だと僕は思った。というか誰でも思うに違いない。ここまで人格が整っているからこそ、作品でイマイチだったのかもしれないということは、本人が日記の中で書いていることである(どこだったか思い出せないけど)。ニンの感性は随一である。随一であるからこそ、ジューンの狂気にも同感できるし、ヘンリーの男性的暴力のことも理解できる。理解度が高すぎて、現実世界で色々気苦労を使ってしまい、それらの成果はすべてこの日記に捧げられた…… 『日記』は万人の喝采を浴びて当然である。

 本当に美しい。飾らない、それでいて何度も華麗な爆発を起こすような、そんな文章がある。それがアナイス・ニン、世界一の感性の作家だと思いました。

 よろこびと、いきいき生きることに、再びめざめる。太陽。ぬくもり。えもいわれぬ幸福感。お風呂に入る。水に触れるよろこび。白粉。香水。イタリア製のドレス。そこにいるのは誰? ドアを開けてちょうだい。家中がお祭り気分、歌っている。モックオレンジとスイカズラの香りがいっぱい。(pp.260)

 パンドラの箱とは、女の官能性をめぐる神秘のことだと思う。それは男とまるでちがうものだから、男の言葉で表現することはできない。セックスの言語はまだ発明されていない。感覚の言語はまだ探求されていない。D・H・ロレンスは本能に言葉を与えることを始めた。彼が臨床的・科学的な言語から逃れようとしたのは、それでは肉体が感じるものを捉えられないからだ。(pp.371)

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #4

 ナイトとの恐るべき決戦。

 「反文学」のいつものグループ会議(基本的には週一、あとは要望があれば任意で他の日に開催されることもあった)で、僕たちは互いの作品をけちょんけちょんにけなしあって、疲弊した後、濁りそうになった空気を元に戻す為に全く違う話題をお涙程度に披露したりするのだった。しかしそれはそれで面白かった。どのみち現代人は孤独に飢えていて、インターネットを介して大人数で声のやり取りをするのはそれだけでもかなり面白かった。一見皆の仲がほどほど良かったのもグループ会話の旺盛に拍車をかけていた。

 あるときのグループ会議で、ナイトはいきなりフランスの批判というより悪口をただだらだらと述べ始めた。フランス人は自己中心的で自慢ばかりする、エゴイストばかりだ、だからフランス文学はつまらないんだ、フランス中心主義には目も当てられないよ……彼の話を古井や公房といったメンバーは慎重に、あるいは同意して聞いていたかもしれない。ちなみに、ナイトと公房は同じ大学の先輩と後輩関係で、二人揃って同じドイツ文学のゼミナールに所属していた。だから公房が先輩のナイトの話を興味深く聞くのは頷けた。僕ははじめから公房を尊敬していた。公房はかなりセンスの鋭い作品の書き手であり、同時に頭も最高に良く、批評や哲学にも通じていた。ナイトだってある種の天才性のようなものはあったかもしれない。ただ、僕はナイトはナルシストだと勝手に思っていた。そう思うような個人的エピソードがあったからだ(これについてはまた後述する……
)。
 とにかくナイトがフランス批判だのフランス非難だのの罵詈雑言を紡ぎだしているとき、僕は一切声を出さなかった。なぜなら僕は総体においてフランスの愛好者だったからである。

 そこで、次の日、僕は平静を装ってナイト個人のスカイプにチャットを送ってみた。個人的に話がしてみたかった。というか、彼の行き過ぎたフランス批判に、僕は我慢ならないものを覚えていたからだ。だからその辺を聞いてみたかった(か、純粋に議論してみたかった)。彼は今は昼ご飯を食べているので、適当な感じでもいいなら、通話もできる、と素っ気なく返してきた。僕は仕方なく通話のダイヤルを押した。
 ナイトはカップラーメンか何かを食べている様子だった。直感で分かったのだがナイトもまた僕のことを嫌っていることが薄々感じ取れた。まったくつまらないことだった。しかし僕は敢えて話をしてみようと思った。

 昨日。フランスの話しましたよね。
 え? あぁ、したね。
 あれ、ちょっと僕は言ってなかったんですけど、あんまりだと思ったんです。ナイトさんは、フランスを馬鹿にしすぎじゃないかと。一体フランスの何がそんなにダメなんですか?
 ……というと?
 いやね、僕はフランスが普通に好きなんです。文化や、歴史なんかも含めてね。だから、ちょっと我慢ならなかった。
 ……ミステイさん、一つ聞いてもいい?
 はい。
 あんた、前から思ってたんだけど、哲学者とか文学者をアイドルみたいに思っていない?
 は???
 いやさ、ミステイさんが語るドゥルーズだとか、サルトルだとか、なんだかいちいち偉そうに聞こえるんだよね。あんた確かアイドルも好きだったよね。アイドル視してるの?

 この人は何を言っているんだろうと本当にびっくりした。同時に怯えた。僕が哲学者をアイドル視? 意味が分からない。僕は確かにサルトルドゥルーズが好きだったが、それと彼らの著作を真面目に読むこととは全く別の問題だ。

 僕はやるせない気持ちを必死で隠しつつ、そのような当たり前のことをただ淡々と述べた。すると、ナイトもとりあえずふーんとだけ言って、引き下がった。

そのあとは、もう会話をするのもいたたまれなくなって、二人とも沈黙が続いた。だから、この通話は終わった。そしてこれ以降僕がサシでナイトと通話することは二度となかった。

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #3

ちなみに、「反文学」の連中は、Tfillのグループ会議(総会、などともったいぶった呼び名で呼ばれたりもしていた)にも参加していたりするので、このあたりはごっちゃだった。というより、Tフィルの中で特に仲が良く気質も似ている連中がいるなということに気付き、そのことを一番の年長のOさんに話したら、彼が言ったのだ、「じゃあミスティさんも一度ウチに来ればいい」。

 最初に言明しておくと、「反文学」で得た知的モチベーションは素晴らしいものだった。僕はここで初めて本格的な批評――本当はただの叩かれ台――を受けることになったし、最初に共読した哲学書はマルクスの『ヘーゲル批判哲学序説』だった。
 僕は、それまでで純文学的な傾向のある短編のなかでちょっと自信のあった「奇妙な食卓」という小説を叩き台に出してきた。これは評価はマチマチだった。ひるさん(女性、生活など一切不明)がここはもっとこうしたら、とかこういう表現に変えたらもっと良くなるのに! などと好意的なことを言ってくれたことはよく覚えている。どちらにせよ、これが僕の「文学的」洗礼だった。
 哲学書のほうは特に問題がなかった。哲学でちゃんと話し合えるのは、古井と、公房、そしてOさんと僕くらいしか居なかったけど、別に問題もなかった。この際古典哲学をきちっと読んでおくのも絶対にためになると思われた。

 「反文学」のメンバーは僕を迎えて活気が増したように思われた。連日のようにグループ会議が開かれた。ひどいときには、みんなが寝落ちしてしまうまで続く(それは続くと言えるのだろうか)こともあった。だけど、みんなが文学や芸術に向かって楽しい時間を共有していたことは間違いなかった。僕は今もそれをずっと感謝している。

 ここに、僕とそう年齢の変わらない二人、ヤケド(男性、介護職)とバイソン(男性、会社員)が時たまやってくることがあった。ヤケドは佐々木中保坂和志のファンであるらしかった。僕はこのヤケドがどうにも苦手だった。それが信じられないところまで亀裂を生むことになる。
当時は僕が覚えている限り最もメンバーの仲が良かった頃だ。Tフィルのグループ会議と、「反文学」のグループ会議以外のところで、僕もたびたび人とSkypeで通話をした。

 ヤケドとバイソンと三人で話をしたことがあった。話は大西巨人の『神聖喜劇』に及んだ。ちなみに大西巨人は昭和?のまさに巨人のような作家で、『神聖喜劇』は全4巻からなる膨大な小説である。 僕は何かの折に大西巨人の『神聖喜劇』を図書館で探していて、その時第一巻が他の人に借りられていた。だから僕は諦めて家に帰ったわけだけど、そのことをヤケドとバイソンに話したら、二人ともやたらニヤニヤしだして(というのもその顔はパソコン越しには見えなかったわけだが)、「え、ミステイさん、借りてこなかったんですか。第一巻がなかった? じゃあ二巻から読めばいいじゃないですか。ははは!」 この人は何を言ってるんだろう。おかしいのだろうか。僕は普通に反論した。「話が最初から分からなかったらきついですよ。というより僕は普通に第一巻から読みたい、それだけのことです」 すると普段は優しいバイソンまで、「ミステイさん、本の読み方はいつも一つではないんだ。それこそ無限にある。ミステイさんはミステイさんの読み方がある。つまり、『神聖喜劇』を第二巻から読み始めるのだ。それがいい。絶対それがミステイさんの読み方だ。ぜひともそうすべきだ」「そうだ、そうだ」 僕は恐怖を感じた。このとき、ヤケドとバイソンが実はとても仲が良いことに気が付いた。二人は何か結託しあっているように思われた。二人が結託して、この僕をからかっているのだ。僕は腹が立った。何も言うことができなかった。その日の晩は、早めに会話から離脱した。

 また、「反文学」のうち、よるさん(男、大学生)に対する敵意を抜きにこの回想録を完成させることはできない。
 よるは、こう言ってよければだが、ドイツ人そのものだった。ドイツ文学を骨の髄まで愛し、ドイツ文化を好み、まるでドイツの為に生まれてきたような人だった。これはあくまで僕から見た「よる」の姿である。「よる」をナイトと言い換えよう。ナイト=騎士は、そして危険な香りをいつも漂わせていた。

 最初に「反文学」の集まりにナイトが現れたのは、3月頃だった。そのときナイトは、呂律が回っていなくて、これは薬の副作用なんだという繰り言を述べていた。電話(というかPC)の向こうに猫の鳴き声が聞こえた。「男ってほんとみんな猫大好きだよね。猫飼ってる人ばっか」とひる(女、不詳)は言った。僕は何となくナイトは精神的に抱えているんだなと思った。あとで話を聞いてみたら、僕とひるとナイトは同学年、同級生だった。

僕もまた、ナイトと一悶着あった。