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書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

セリーヌ、フランス文学

フェルディナン・セリーヌへの愛が止まらないこの頃である。
 去年の冬~春ごろに頑張って?「夜の果てへの旅」を読んで、以来すっかり魅了されてしまっている。それより前に愛好していたヘンリー・ミラーの、長大な文章と自伝的な構成という類似点もあって、長らくこの二人の作家が僕の心の中心をしめるようになったが、ミラーもセリーヌも魅力のありあまる存在だ。

 今、「なしくずしの死」を読んでいる。客観的に面白さを伝えるのが難しいかもしれないが、とにかくこの本は面白い。ギャグセンスもしかり、文章もますます畳みかけるような呻き、罵声、猥雑さに満ちていて、これ以上に自由な文学作品があろうかと思うくらいだ。

 でも、二十世紀のフランス文学は、プルーストセリーヌだけでなく、実に様々で豊富な内容を抱えているな、と気付いたのが最近だから、僕はいけない。
 もともとフランス文学は一筋でも二筋でもいかないところがあるが、二十世紀のフランス文学に限ってみても、シュルレアリスム文学、実存主義ヌーヴォー・ロマンと流行も多岐に渡る。

 そして日本への紹介も非常に豊かになされている。澁澤龍彦などが主軸だったのだろうと思うのだが、ブルトンやクノー、ジャン・コクトー、哲学者でもあるバタイユや遡ってマルキド・サドやなど、フランス国内でもあまり評価のされていなかった小説家もいっしょくたにして輸入しているところが面白い。

 僕は生田耕作さん訳の「夜の果てへの旅」が好きで、ジャン・ジュネの訳も幾つかされているし、まだレーモン・クノーの「地下鉄のザジ」を読んでいないので生田耕作訳をさっそく図書館に予約した。読むのが待ち遠しい。

 二十世紀のフランスの哲学は、いま現象学のミシェル・アンリの本なども読んだりして、ここ一、二年でやっと概要を掴めた、という気もするのだが、文学はまだまだこれから。というか全体を見渡せそうもない。フランス文学、入門、案内などと検索してみると、幾つもそれらしき入門書や概説書が出てくるが、どれを読めばいいのか分からない……(がとりあえずどれか一冊を読んでみるつもりである)。

 野崎歓さんの『フランス文学と愛』で、モリエールやディドロなどの「近代の前半」の古典作家、劇作家や小説家などの名前を知ることはできたのだが、十九世紀~二十世紀がまだ良く分からない。外国人が書いたフランス文学論などを読んでみても、知らない名前がけっこう出てくる。作品は無限の宝庫のようにあるようだ。

 ただ、一つ思うのは、二十世紀のフランス文化は、ほぼ中心点の50年代に、サルトルが君臨しているということだ。サルトルは小説も戯曲も書いたし、もちろん哲学的にも多大な影響を与えた。その人以前と、以後で、様相は大きく異なっている。文学者・哲学者サルトルが誕生するまでの流れと、サルトルが亜流になってからの文学界/哲学界の流れという図式で整理するのが、一つ、フランス文学をより深く理解するうえでも重要かもしれないなどと思いはじめる。

 そもそも、サルトル現象学は非常に小説チックなところがある。だからというわけではないが、ミシェル・アンリも小説を三冊か四冊書いているし、他者論のレヴィナスなども実は小説の構想があったということだ(『現代思想 増刊号 レヴィナス』のエッセイによる)。現象学は文学に似ているのである。現象学を理解することで、フランス文学をもっと違う面から見ることができるかもしれない。ただ現象学は異常にむずかしい……。

 最近の日本はますます翻訳文化が進み、特にアメリカ文学とラテン文学がものすごい勢いでその魅力を伝えているように思われるが、僕は逆にもっと過去を遡って、先人が探し当てた作品の光を後追いしたいと思う。

 これから自分の愛読書をドゥルーズの『差異と反復』とセリーヌの『夜の果てへの旅』ですということにしよう。それでは。