書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

インリズム(新)……断詩

 人間が好きだ。私は人間が好きだ。人間はつまらないし、よく裏切るし、何も分かっていないし、傲慢だし、情緒不安定だし、頭が固いし、何より無理解で、他者存在をあまり尊ばないのに、それでも何故か、私は人間を好きになってしまう。いや、人間が好きだと思ってしまう。私は、人間から離れることはできないのだ。かつてのヒューマニズムの過剰は昔の話だ。だからこそ危険でもある。しかし、人間は自信を取り戻してもよい。どうでもよい、くだらない存在だからこそ、このくだらない世界に生きる理由と大地が存立するのだ。生きよう。生きるために、生き延びるために、何かを創造するために、もう一度人間主義を回帰させよう。

産業革命が進展する中で、経済=資本体制が次第に人々の生のほとんどを占めるようになった。貨幣を持っていないと暮らせないのである。思い返せば、十八、九世紀までの文学は、お金のある人によってほとんど支えられていた。二十世紀の文学ときたら! 凶暴なランボー、言葉の魔術師のようなマラルメ、そして奇跡の泥棒、ジャン・ジュネ……みんなどれも似たり寄ったり激しさを極める貧乏だ。貧乏という最高に困った状況は文学を一変させた。プロレタリア文学とは何もマルクス主義のことだけではない。階級が、社会構造が、人々の意識を規定するのだ。ドイツでは、文学作品が、国の統一に大きな影響を果たしたと言われている。同じ作品を読み、それを共有することで、「精神の共同体」を彼らは作り上げたのだ……それがどこまで真実かはさておくとしても、かつては文学はまとまりとしての人々、国民、民族に揺さぶりをかけた。今の日本ではあまり絵が思いがけないのではないだろうか。文学は意識の共同体にもつながるものだった……政治、文学。それらの軌跡、そしてもう一つの歴史といったもの……。