『パララックス・ヴュー』メモ書き(1)
スロヴェニアの現代哲学者ジジェクは、難解な文体、ドイツ観念論からフランス政治哲学、そしてもちろんラカン的精神分析学、そして何より大衆映画作品の分析などを盛り込んだ、「圧倒的な書物」を世にばんばんと送り出す魅力的な哲学者である、と僕は思っている。哲学の入門もクリアしないままこの哲学者の著作にあったとき、笑っちゃうくらい彷徨したのだが、カントのアンチノミーとかヘーゲルの主人と奴隷の弁証法などの用語に耳慣れてくると、徐々にジジェクの著作は読めるようになってくる。これは僕の実感である。ジジェク以外の哲学と対峙し、何かしらを必死こいて理解しようと努めたり、あれはこうではないか……?と考える日々を経由してまたジジェクの違う著作を読むと、以前よりまた一つ読解が進歩している。読者にはむしろサービスも、しかし無料のサービスでは済まさないのが、ジジェク流のやり方なのだ。
ジジェクの哲学文章の下敷きには、繰り返しになるが、以下の要素が大きく関わっている。
① ラカンの精神分析学。もちろんフロイトのそれとの共通点、差異。
② ドイツ観念論。カント、ヘーゲルを筆頭に、フィヒテやシェリングなどは毎回持ち出される
③ フランス政治哲学 アラン・バディウはジジェクのお気に入り。ラクラウ、ジュディス・バトラー(こちらは精神分析にも関わる)、アルチュセール
④その他の哲学者 ドゥルーズ、デリダらポスト構造主義者、ニーチェやデカルトといった近代哲学者
⑤ハリウッド映画
これらを題材として、ジジェクは縦横無尽に哲学を創り出す。しかし彼の整理や解釈は見通しが良く、「あ、そういうこと?」と見方=視線に新たな方向を与えてくれることが多い。それもジジェク哲学の魅力。
僕は『厄介なる主体』という2巻本の著作に触れて、この哲学者を読み解きたいいつかは、と思っているのだが、何せ彼の著作が膨大で一作一作も重厚なので、いつになることやら。
まがりなりにも完読したのは『厄介』と『否定的なものへの滞留』(再読しなきゃいけない)、あとは『ラカンはこう読め!』くらいなのだが、
とりあえずこれから大著『パララックス・ヴュー』を読んでいこうと思う。
哲学書を読むときは、自分の中でまだ形を持たない概念が光のように現れたり消えたりするから、それを追いかけるために個人的なメモ書きもたまには必要なのです。だからこれは読物では到底ない。
しかし、『パララックス・ヴュー』は間違いなく面白いだろうし、これを読み切った僕は、以前とはやはり何か違う感覚、ビジョンを手に入れているかもしれない。そのために読みます。
今回は宣言だけで終わっちゃったけど、読書は気ままに進めていきます♪ 笑