書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

反文明

 文明のスピードが速すぎる。ドゥルーズの研究者である千葉雅也が『動きすぎてはいけない』で書きつけた、国家―社会―個人の領域における接続の過剰はさらに加速している。よく考えてみよう。二、三十年前のSF小説のアイデアはむしろほとんど現実化されているではないか。これが現実か? と疑いたくなる。そこにはアクチュアリティ(現動性)が欠けているように感じられるのだ。

 過剰の過剰と速度の加速度的上昇。それらに対し、我ら人間が半ば意図的に時代を錯誤し、混乱し、一時停止し、切断するのも当たり前である。むしろ、時代の錯誤を肯定的なものとして捉えたい。社会は闇の力によって動かされている。誰もその先を知ることはできないが、それが望ましくない方向にも向かっていることくらいは知っている(それに気付ける人も少なくなったことが哀れだが)。

 反文明の流れはむしろ普遍的にあった。我らはレトロなどという虚飾めいた言葉でさらにそれが文明や資本主義のたった一つの部品に成り下がることを許すべきではない。我らは時代の先を知ることをできないが、時代の進行を一時停止させることくらいはできる。できるはずだ。

 農作業をしてもいい。樹木を愛でてもいい。田舎に帰ってもいい。都市を捨ててもいい。携帯を捨ててもいい。ある時代に固執してもいい。酩酊してもいい。現代への酩酊。一時的な破滅。混沌。何かしらに抗うべきだ。でないと我らは既にあまりに支配されすぎている。支配されることに慣れ過ぎている。