書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

繰り返し読んだり観たりすること

 昔は、一度読んだ本はあまり読みかえさない、なぜならもっともっと色んな本を読まないといけないからだ! などと僕は意気込んでいました。

 今になっても繰り返し読む本は限られるのですが、それでも自分にとってとても大切な作品は手元に置いて少しでも味わえるだけで幸せだったりすることがあります。

 個人的な話が続いて申し訳ないのですが、僕が書物で衝撃を受けたのは大学三年生の時に読んだドゥルーズの『差異と反復』でした。一行目からぜんっぜん分からない。 「反復とは一般性ではない。」 はぁ?(笑) 反復というのが具体的にどういうことなのかも分からないし、一般性と突然言われても全然ピンとこない。でも、なぜかとても美しいと思いました。まさに『差異と反復』はドゥルーズの主著にして大著、十年以上にわたって行われてきた「ドゥルーズによる哲学史研究」の総まとめになっているこの書物は、輝かしかった。

 今まで通して読んだのは3回、あとは部分的に拾い読んで「うーん分かるような分からないような」と呻くだけなのですが(笑)、それでも大切な一冊です。

 他に好んでパラパラめくったりするのは、セリーヌ『夜の果てへの旅』『なしくずしの死』、ヘンリー・ミラー『北回帰線』、川端康成『雪国』『伊豆の踊子』『眠れる美女』、大江健三郎『死者の奢り』『万延元年のフットボール』『懐かしい年への手紙』、カルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』などがあります。バルガス・リョサももっと手元に置きたいなぁ。


 さて、なんでこんなことを話したかというと、いい映画って繰り返し繰り返しみても全然飽きないなっていうことに今改めて気付いたんです。
 ジブリの映画ってよく金曜ロードショーで繰り返し放送されますよね。
 僕は「隣のトトロ」や「魔女の宅急便」が大好きなのですが、繰り返し見るからほとんどシーンが思い出される。あ、次こうなって、こういうセリフがあって……みたいな。
 それで、こないだ「耳をすませば」を借りて見ていたのですが、やっぱり見落としていたと言うか、あまり意識して見てこなかったところがちょくちょくありました。

 一つ出すと、しずくのお父さんは図書館の館長なんですね。それで、しずくがお父さんにお昼弁当を届けに行くシーンで、お父さんが「ほら、うちの図書館でもようやくバーコード処理の体制が整ってね」みたいな台詞があるんですね。

 しずくは、天沢聖司の名前を図書の裏にある貸出カードで確認したんですよね。あれは本当に懐かしい! 僕も小学校の図書館やその時代は貸出カードでした。
 
でも、手続きの煩雑さに対処するのと、コンピュータで効率的に図書を整理するためにバーコード制度になった。それを、お父さんはいいとも言わず悪いとも言わず、とても感慨深くしずくに漏らすんですね。 素敵だなーと思いました。

 ジブリの作品には日本の時代が細かく刻まれています。「耳をすませば」はなんとなく80年代くらいの東京なのかなって感じですが、都市の喧騒の中で猫に導かれてあのアトリエのある景色のいい丘にたどりつくところも全て素敵です。

 宮崎駿はまちがいなくノスタルジアの天才です。ノスタルジー的な哀愁をとても肯定的なものに仕上げている。だから作品は凛々しく、美しさが増すんだと思います。

 素晴らしい小説は何度読んでも違う発見がある。同じように素晴らしい映画は何回見ても新鮮だ。
そういう素敵な作品たちにゆっくり出会って行きたいものです。