書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

1月の試み マルクスへの接近


去年の暮れから、僕にまた哲学熱が再来した。この半ば風邪気味による微熱との併用も手伝って、僕はサルトルの『方法の問題 弁証法理性的批判序説』を読み切った。この本を簡単に説明すると、序説、つまり本論たる「弁証法的理性批判」への準備段階として、サルトルがこの長大な研究に挑む自らの意義付け、それを丹念に論じて探求の指針を作り上げたのが『方法の問題』であった。
実は、サルトルは続く大著『弁証法的理性批判』で、自身が構築した実存主義の哲学と、マルクス主義の哲学を接合して新たな次元にいこうとしたのである。『弁証法的理性批判』は残念ながら未完らしい。しかし、僕は『方法の問題』を読んで、哲学のダイナミズムを久しぶりに味わえた。サルトルは考えていることが熱く大きいから。

そして、諸理由もあって、新年からはマルクスマルクス主義の哲学書をよみはじめた。しかし、ここで罠というわけではないんだけれども、レーニンに引っ掛かってしまった。
レーニンはマルクス哲学を誰よりも愛し、ロシア革命を起こしてソヴィエト連邦国家を樹立した歴史的人物である。ちなみにレーニンも多大な本を遺しており、彼の思想をマルクスとあわせてマルクス=レーニン主義と呼ぶ。
ロシア革命という現実に世界史を揺るがした事件への興味もさることながら、僕は思想家としてのレーニンに興味を持ち、いくつかの著作を読んだ。
レーニンの『帝国主義 資本主義の最高段階としての』はレーニンなりのデータに基づく経済学的な著作だった。そこで僕は『国家と革命』を読んだ。
これは大きかった。『国家と革命』でレーニンはマルクス=レーニン主義の正しい説明、擁護、誤解に対する不満を退け、社会主義から共産主義へと歴史の時計を進めていくためには、プロレタリアート(労働階級)はブルジョワ階級を打ち倒して、プロレタリアートによる独裁の政権を奪取・確立しないといけないことを述べている。僕は注意深く読みながらもやはり愕然とした。やはりこの社会主義独裁国家共産主義という図式が理論的にツメがあまあまだったのだろう。その後の歴史は、マルクス=レーニン主義が大失敗に終わったことを、憤慨と悲しみと嘲笑を浮かべて人は豊前としている。

マルクスエンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』は半分まで読んだ。だいぶ読みにくいが、日本のマルクス主義者であり特異な哲学者である廣松渉の新書を読みながら、この本の意義深さを知った。
その他、廣松渉の主著や、アルチュセールなどを読みかけではあるが、いったんマルクス主義いってんばりだった期間は1月でおやすみ。これから、違う問題意識にもとづいてまた読む哲学書を再編中でし!

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ということだが、自分の整理のために2月以降の試み(自分のための勉強)をここに書きますね。

 小テーマ:市場経済的「リヴァイアサン」に対する考察を深めるための読書

 基本文献として、再読したいと思った本

ホッブズリヴァイアサン』(岩波文庫)の第一巻と第二巻
マックス・ウェーバー『資本主義とプロテスタンティズムの精神』

 応用文献として読みたいと思った本

ドゥルーズガタリ千のプラトー』精読
ドゥルーズガタリ『アンチ・オイディプス』)
フェリックス・ガタリ『分子革命』
フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー
フェリックス・ガタリ『カオスモーズ』か『闘争機械』


ミシェル・アンリ『野蛮』

かな! マルクス読解で幾つか得た認識をつなげたいところです!