書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

菅原孝標女『更級日記』(ビギナーズクラシック)——日本日記文学の金字塔

更級日記 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

更級日記 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

 その夜は、「くろとの浜」といふ所にとまる。片つ方はひろ山なる所の、砂子はるばると白きに、松原茂りて、月いみじう明かきに、風の音もいみじう心ぼそし。人々をかしがりて歌よみなどするに、
   まどろまじ今宵ならではいつか見むくろとの浜の秋の夜の月

対訳:その夜は「黒戸の浜」というところに泊まります。そこは片側が広々とした砂丘になっている所で、砂がはるか遠くまで白く続いています。彼方には松原が茂り、そのうえ月があたりをとても明るく照らし出し、風の音もしんみりと心細く聞こえます。人々はこの風景に心を動かされて歌をよんだりするので、私も
 「今晩は決してうとうとまどろんだりしません。今宵を逃したら、いったいいつ見ることができるでしょう。こんなに美しい黒戸の浜の秋の夜の月を」
とよみました。
——菅原孝標女、川村裕子編『更級日記』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラシック)pp22-23

 これは大変面白かった。今読んでも、主人公の菅原孝標女菅原孝標の娘ということ)にすごく共感できるし、描かれている人生の甘酸っぱい所も強烈に残酷な所も、本当に現代の純文学と比較してもまったくひけをとらない。それくらい面白かった。

記事の冒頭の引用でも分かるように、まず主人公の自然風景に対する繊細な感覚がすごい。そして、はるばるとつならっている砂丘の白さ、緑の松原の生い茂り、そしてそれらを月が明々と照らす。風の音だけが小さく聞こえる…… こんな「風景」があったのか、いや主人公の眼前には確かにあったのだと、たしょう日本をノスタルジックに想起するきっかけさえ読者に与えてくれる。そして、その場ですぐに気の効いた和歌を詠むのも古代人ならではだ。

 主人公の菅原孝標女は、『源氏物語』とその登場人物たちに大夢中。お気に入りは光源氏と浮舟。源氏物語に出てくるような、特に浮舟のような女性になりたいと幼き頃の主人公は思いながら旅をする。
 あまりにも『源氏物語』や他の巻物ばっかり家で読んでいたせいで、お経を唱えるだとか宮仕えだとか、そういう社会的な奉仕をするのに少しだけで遅れるけど、優しい夫と結婚してからは若き頃の不出来を恥じ、家族の為に、自分の人生のために、強く生きていこうとする。だけど、それは歳月の経過とともに、また彼女の繊細な心の移り変わりとともに、変化していく……。

 『更級日記』は、夢がものすごく出てくる。夢の内容で、良い夢と不吉な夢が現実に与える影響が大きく異なってくるのだ。まさに菅原孝標女の人生も夢に翻弄される。南米文学やカフカマジックリアリズムシュルレアリスムを持ち出す前に、そもそも1000年ごろの日本がマジックリアリズムであったのだとおもわず言いたくなるほどだ。 ちなみに、夢がこんなにも出てくる作品は『更級日記』をおいてほかにもないという事です。

 最後に、何回か登場する、菅原孝標女の情緒を完璧なまでに美しく惹きつける、遊女たちのシーンを引用します。

さるべきやうありて、秋ごろ和泉に下るに、淀といふよりして、道のほどのをかしうあはれなること、言ひつくすべうもあらず。高浜といふ所にとどまりたる夜、いと暗きに、夜いたう更けて、船の梶の音きこゆ。問ふなれば、遊女の来たるなりけり。人々興じて、舟にさし着けさせたり。遠き火の光に、単衣の袖長やかに、扇さし隠して、歌うたひたる、いとあはれに見ゆ。

対訳:ちゃんとした理由があって、秋のことに和泉に下りました。淀という所から船旅となり、旅の途中で出会う景色がすばらしく、心を動かされることといったらとても言葉では言い尽くすことができません。高浜というところに泊まった夜、真っ暗で、そのうえ夜がとっぷりとふけてから、船の舵の音が響いてきます。供人の誰かがその船に乗っているのが誰なのか尋ねている様子でしたが、なんと遊女がやってきたのでした。人々は面白がって遊女の船をこちらの船に着けさせます。遠い灯火の光に照らされて、遊女が単衣の袖を長々と下げ、扇をかざして顔を隠しながら歌を歌っている姿は、せつないまでに美しく見えるのです。
——菅原孝標女更級日記』pp178-9