書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

切っ先を突きつけろ(冒頭)

 俺はまず、自分の眼前に刃が突き立てられている状況を自分の精いっぱいの想像力で再現した。なぜなら俺はあきれるほどに弱く、死の「存在」というものにつねに怯えきっているからだ。俺は死ぬことが怖い。自分が死ぬイメージをうまくもてない。それに死ぬのは死ぬほど痛いだろう、つらいだろう。なにせ自分の親知らずを引っこ抜くときのあの信じがたい重圧にほとんど耐えられない! その恐ろしさといったら! だが親知らずを抜いただけでは人は死なん。死ぬことはもっと強大な痛みを共にするはずだ。俺は怖い。だから、刃が、ナイフがいきなり喉元につきつけられているという状況をとりあえず想像してみる。それはあり得ないことではないからだ。もちろん電車に撥ねられる一瞬前でもいいし、崖から足を一歩踏み出す前でもいいんだが、今回はもっとも死の恐怖のイメージを喚起するもの、刃のご登場だ。俺はほとんど先端恐怖症だし、何しろ刃というものは人や動物、命を殺すものだ。殺、伐。とりあえず殺されようとしているものとして俺を定立してみる。すると、どうだ、次の瞬時にとるべき行動……! 俺は怖い! 怖いから動く! 動く、どっちに⁉ そうだ、そうやるんだ、とりあえずつきつけられた刃を向こうにおいやるんだ、それは俺の右手をもってしても構わない。教訓Ⅰ:肉を切らせて骨を断つ。俺は俺の想像において突き付けられた刃を右手で握りしめ(瞬時に右手には紙をナイフでツツーと撫でるような柔らかいのに鋭い痛みと出血とが起きる)、ぐっと掴んで相手の方にせり出す。刃を遠ざける。これだけで俺は安全だ。刃は今や眼前から離れた。その間にまた考えなくてはならない。でもそれは二の次だ。なんなら凶器の刃はまだ血塗られた右手がしっかり握っている。それを己の武器とすることもできるだろう。教訓Ⅱ 自分にとっての凶器は、相手にとっての凶器でもある。今回はこれくらいだ。死の(恐怖の)試練、思考実験。