夏目漱石ロボットが現代の大衆小説を書くようになるとき
人工知能(AI)の進化について、文系癖という悪癖が出て情報収集を疎かにしたり、「うーんでもロボットがどんどん進出していくと人間の手仕事も減るわけだしいいじゃん」というお花畑な思考をしがちだったのですが、
AI関連でも、人工知能が文章を書く、というのは、Google翻訳の驚異的なアップデートだったり、ついに夏目漱石アンドロイドも登場しちゃったりで、どんどん現実性を帯びている。
僕は作家志望なので、AIが小説を書くくらいまでに発達してしまったら、でもそれはありうるなぁと思って、ようやく危機意識に近いものを抱きました。
というのは、エンターテイメント小説などの大衆小説は、あるパターンや規則性などに基づくものも多いので、それを発達途中のAIが引き受けると言うのは、至極合理的な展開のような気がしたからです。
まだ実際にはちゃんと調べてないので、どれほどの文章が自動的に書けるのかとか、オチの付け方とか、そういうのは全く分からないんですけど、発達途中の(進化途上の)AIと商業主義は非常に結びつきがいいと考えられます。
「小説家になろう!」のような投稿型小説サイトの話を聞いていても、読者の勝手すぎる(?)感想などがけっこう多いらしい。ならば、読者のニーズ・欲望に徹底的に答えるように、ストレスを抱える人間ではなく、AIがある程度書いてしまえばいい。
僕としては「純文学的要素も持ってますから」、なんて逃げ場をちょっと考えたりもするけど、それもAIが創造性を獲得するにつれ、奪われていきそうな気もする。
そのとき、血肉の通った作家が書く小説に、どれほどのアイデンティティがあるのだろうか。
これはかなり問題である。
とまぁ、それくらいで話は終わるのですが、以前から哲学・現代思想の分野でもAIのことは取り上げられていたので、まずはそちらからあたってみようかな!
去年に出た青土社の鉄板の雑誌「現代思想」のバックナンバーです。これを県立図書館で早速予約しました。
現代思想の系譜としては、ポストモダン時代に、人間中心主義批判からの構造主義→極化として、「主体的な人間」という概念から抜け出るためにサイボーグや動物などが論じられるようになってきましたが、それに時代も追いついて、モノを人間なしで捉えるといった哲学プロジェクトも近年あるようです。
いずれにせよ、人間が中心の社会や制度に綻びが出るのが止まらなくなり、それをどう受け止めるか、これはまだ誰も明確に安心できるような答えをもっていないと思います。