書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

闇は僕の袖口をひっぱって

闇は僕の袖口をひっぱって

自分への自信のなさというものはそら恐ろしい。僕はまたその景色を見ることになった。昨日。自信というものが消失していく。体という抜け殻は残るが、活力を送りこむための〈魂〉は荒廃している。
僕は昨日、静かに、狂おしいほど静かに流れる夜の闇の中で、低く、低く堕ちていった。底なし沼かどうかは分からなかった。僕からあらゆる自信が抜き取られていた。その結果どうなったか。僕は自分を殺してしまいたいと思った。「自殺したい……」というよりも、この憎むべき自己を抹殺したい、一部であれ、丸ごとであれ――そんな風に。
 ともあれ、自殺したいという気持ちほど辛く哀しいものはない。昨日はずっと眠れなかった。仮に眠ったとしても、諦めて眠ったとしても、問題は一つも解決しないと感じていた。寝て、朝起きて、御飯を食べて、図書館に行って、DVDを借りて、家に帰ってDVDを見て、寝て、という生活を過ごしている内に、またあのぐらつき、眩暈、それまで自分が立っていた場所が根本からえぐり取られる・えぐり取られてしまうといったような衝撃が襲ってくるだろう。そうに違いない。僕は何とか解決の糸口を見つけ出したかった。
 最初に思いついたのは、宗教への信仰だった。僕は仏教キリスト教に関心がある。とりわけヨーロッパ的な世界観のキリスト教は、やり方とお金の問題さえ無視すれば入信してもよいなどとも思い始めた。懺悔、告解というものをしてしまいたかった。これまで僕が為したありとあらゆる悪事、罪。憂鬱な僕は罪と罰の意識に強く拘束されていたのだ。僕はしかしこうも思った。懺悔をする。しかしそれで僕の罪は赦されるのだろうか? そして、僕の荒廃した魂は浄化されるのだろうか、と。そこが大いに疑問だった。最近の僕は哲学的な観点から神の存在(存在、もちろん実在ではない)を肯定しようと思いなしていたところだったが、その神様が僕を赦してくれるのか? そしてそのことで僕の魂が少しでも楽になったりするのか? そうはとても思えなかった。
 時刻は過ぎていった。Googleで近くの教会を幾つか調べたりもしたが、得たい情報は見つからなかった。やがてこの宗教入信という思いつきの発想もどうでもよくなった。依然として夜は深い。すると〈夜の闇〉が僕の服の袖を引っ張った。
「……お前は死んだほうがいいかもしれない……」 大きな口を横に広げたその〈夜の闇〉は僕にそう言っているように聞こえた。
「……そしたら楽になる。お前が死んだということで、少なからず人々がお前の死を悲しんでくれる……」

……そうなのか?

「……もしおまえが死んだら、私が死後に建てられるお前の墓まで連れて行ってやろう。お前の好きな花だって備えられているさ……」
〈夜の闇〉はひひひと低く笑った後、ようやく僕の服の袖口を放した。

「助けて!」とか、「救ってくれ!」とか、ミスチルの歌を聴きながら本当によく感じていた。痛みがあった。しかしもう忘れていた。高校生の頃だ。高校生の僕は、「助けてよ、この辛い気持を癒してよ!」とばかりにミスチルバンプの曲をずっと聴いていた。僕はあの頃の弱くてどうしようもなかった自分のことを懐かしく感じた。と同時に、今の状況はあの頃に非常に近くなっているということにも気付いていた。
 事実、僕は所在のない不安まるだしの高校生の頃の自分にほとんど戻っていた。僕は人前では明るく振舞っていたけど、弱さや痛みを日々抱え、結局それもあふれだしてしまった。そこから僕の精神病との闘いは始まった(まだ終わってもない)。
 自分に自信がないということ。それは、頼りになる筈の自分の能力やイメージが未だ確立されていないか、非常に曖昧なものになっているということだ。アイデンティティ不安。
一体どれくらいぶりだろう、こんなに何もかもに自信をなくしてしまったのは。
自信をなくしてしまった今の自分の無力さはもうどうにかするという類のものですらなかった。
怖ろしい夜よ。(続く)