書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた#1

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #1

これから、ある一定の期間における過去を簡潔に(といっても簡潔にはならないのだが)振り返ろうと思う。
 例えばその期間をXと呼ぶことにしよう。期間X以前の僕はどうだったかというと、大学を何回も留年し、普通に落ちぶれた、しかもあまり良くない遊びも覚えた大学生だったと言えよう。
 大学を中退して去ったのをキッカケに期間Xははじめられたわけだから、期間XないしX以後における僕の身分は「フリーター」と「ニート」を行ったり来たりする。定職にはついていない。それも後々明らかになる。ここには小説家を目指そうとして常に中途半端な努力しかしてこなかった情けない男のしがない20代の人生が語られるだろう。
 はじめから、血の凍るような、あるいは反転して血が滾るような、そういう形容を用いずにはいられない、「実存の叫び」--僕自身という存在の咆哮は、くぐもり、あけっぴろげられ、虐げられ、迷走し、空中分解するのである。
ただそれを振り返ってみるだけだ。

 この内容がうまくいけば外部ブログにも自分でコピペするつもりだが、やっぱりmixi日記というツールの、肩をはらなくてよい適度なプレッシャーだけを身に受けてこの文章を書き進めていきたい。

 とにかく、期間Xというのは、2014年の2月にはじまる。僕はいよいよ大学を中退し、手続きも足早に済ませ、親に来てもらって一人暮らしの机やら冷蔵庫やらを一気にまとめて地元に帰った。
 もちろん、とりあえずの就職先が目下の目標だったに違いない。しかし僕は並大抵の人間ではない。ある意味狂人だ。だから普通の就職先を普通に考えて就活しようとする意志のようなものがない。
 簡単に説明すると、僕はこのとき小説家として自分の人生をデザインする途はないかという最後の賭けのようなものを考えていたのである。
 僕の親は、僕が小さい頃から莫大なお金を学費と塾、そして習い事の定番であるピアノ教室代を払い続けた。
 おかげでちょこちょこ才能と呼ばれうるようなものには巡り合わせが良かったのかもしれないが、苦労の味も、挫折を乗り越える強きマインドネスのようなものも全く知らなかった。

 その男がまさか、大学、しかも4大をすら卒業できなかったら、基本的には無意味である。そう僕には思われた。確かに大学で学んだこと、というより大学の環境で学んださまざまな知識や本やゼミや経験はほんとうに素晴らしいものだったが、肝心の「卒業証書」なくしてはただただ泣き目を腫らすだけだ。僕は膨れ上がった頭の中で、次第にこう考えるようになった―――

僕のアイデンティティは知的活動であり、それを生きる(食べる+楽しむ)ことにつなげていくしかない。

音楽は鼻から対象にならなかった。僕のピアノはお粗末なものだし、ベースもバンド人間としてもアマチュアで十分だった。

小説を書く――そして、いつしか有名な小説家になる。僕の大好きな本。本を出版すること。
僕の亡くなった祖父は、還暦を迎えてから自費出版で自分の教師としての歩みを一冊の本にまとめた。10年もしないうちに祖父はなくなった。
 自分が死んだときに、何か世の中に形として残しておきたい。それを考えたときに僕がすぐイメージしたのは、本売り、というか、小説家になって小説や哲学書を書くことだった。

とりあえず、2014年の2月。 親には、コンビニのアルバイトか塾のアルバイトかの二択で迷っていると言っておいて、僕は小説をどうしようと思っていた。

最大の難点は、小説は一人で書くにはあまりに世界が広がらないという事だった。