書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #2

一人で小説は書かないといけない、しかし本当にたった一人で小説を書くことはとても困難だ。

 巷には小説投稿サイトというのがいくつも流行っていて、何やら人気ランキングみたいなものを掲げているのもあるんだけど、そういうものを読んでも自分の書きたい純文学っぽいもの(ここでは敢えて純文学という言葉を使っているが、当時は純文学がどういうのかすら分かっていなかったのだから、まさに水の上を泳ぐ魚だ)が評価されたり話されたりするようなのってない…… というか、純文学っぽい投稿サイトはない。あったとしても、書いている人はほぼいない。仮にいたとしても、その人はなんだか無敵の論理と罵詈雑言をコメント欄と相互で吐いているのだ。

 投稿サイトは小説を書き始めた20歳のころからちょくちょく使っていたが、自分の作品のストック場という感じで、たんたんと書いていてもまず普通に読んでくれません。当たり前。労力のいる読み物をだれがわざわざ読むのか。

そこで僕は思いつく。文芸サークル…… 殊に、やたらファンタジーとライトノベルを書きたがる中学生たちではなく、大人の社会人文芸サークルはないものか、と。
 
それは読書会という形でなら大阪や東京には存在したが、僕の地元・岡山にそんなものが都合よくは現れなかった。

さらに僕は進路を取る。SNSで探してみてはどうだろう。個人でもいいし、何か、そういうサークルめいたもの……

そして調べて、気を抜いて、調べた後、あったのである。
webによる文芸同人団体。

「T fillハーモニーオーケストラ文芸団」

 音楽団体? 文芸団体?

判断に迷ったが、ツイッターのプロフィール欄にははっきりと「熱い同士をお待ちしています」という文字と、サイトへのリンクが示されてあった。
僕はこの奇妙な名前の団体、「Tfillハーモニーオーケストラ文芸団」をかくして知ることになった。この団体が基本的に僕を根本的に変え、期間X以後の僕、すなわち「文学的人間たるの僕」を作り上げた原型だったのだ。
Tfillハーモニーオーケストラ文芸団

 これはweb上での、つまりインターネットを介した文芸の同人団体の名称であるが、僕はここに2014年3月から2015年3月の一年間在籍することになった。今から振り返ってみれば、僕が単なる夢想家から少しでも高い壁を突破したいと本気で考えるようになる、その本気で考えるというかなり面倒な手続きのエネルギーを与えてくれたのがこの一年間だったといっても過言ではない。

Tfillハーモニーオーケストラ文芸団(Tフィルと略す)の「T」は、Twitterの「T」だった。つまり、TフィルはTwitterをメインに使っていた。三か月に一度「部誌」と呼ばれるweb上の雑誌を作るために、特集テーマを決め、それから原稿を募り、原稿の締め切りが来たら校正・推敲期間に入る。そして完成された作品がホームページ上やpdfファイルとして作成されるわけだ。
僕が所属した一年間の中でも、数えきれないメンバーが交流し、喧嘩し、笑い合い、出ていった。
その中でも、この物語において最低限必要なメンバーはそれなりにいる。名前をどうしようと思うのだが、Iさん(男、教員)、よるさん(女、不明)、ひるさん(男、大学生)、公房(男、大学生)、Oさん(男、建設業)、ヤケド(男、介護)、モー(男、会社員)、それから古井(男、不明)だ。

順を追って説明していこう。

IさんはTフィルの部長。しかし、この人は僕が所属していた間、現実の仕事に追われていて、コンタクトを個人的にとりはじめてから仲良くなったのは秋ごろだった。

ここで注意しなくてはならないのは、よる、ひる、公房、O、そして古井の「五人組」は、Tフィルの中にさらに下部組織「Anti-Literture」(反文学)を造っていた。彼らはおもにマルクス主義の哲学書やドイツ文学書を読みあい、読書会を一週間に一度行っていた。また、時としてメンバーが書いた短編作品の合評なども同時に行っていた。

最初にTフィルに入ったとき、作品を書く動機づけと、発表できる場が与えられただけでも、とても嬉しいと思った。特に、好きな作家などで話が通じる人も何人かいて(僕は当時それなりに村上春樹の長編作品などを読んでいたのと、哲学書をかじっていたので、だいたい哲学方面に詳しい人として措定された)、仲間がすぐにできた。

Tフィルでも、web雑誌に発表された各作品は時間をおいてから、メンバー同士で互いに読みあって、批評(感想、批判、称揚)をする。そのとき使っていたのは、PC上のSkypeのチャットやグループ会話だった。
 僕は、趣味を同じくする者同士の、主に夜から深夜にかけて行われるグループ会議というものの楽しさと罠にハマってしまったのである。

これらはまだ3月に入った頃だ。僕は次第に「反文学」の奴ら(の方が概して小説や哲学書を読んでいるし、書いているもののセンスもいい)に尊敬を覚えたり、憧れたり、文学や哲学の会話をすることが多くなった。僕はそのうち、「反文学」の読書会というグループ会議に参加していくこととなった。