書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

世界一の感性作家――『アナイス・ニンの日記』

 わたしは嘘で身をくるんでいるが、それらの嘘に魂を射貫かれることはない。わたしの嘘は他者の不安を鎮める「生の嘘」であり、わたしの一部になることはないというように。衣装のようなものだ。(pp.215)

 わたしが興味をもつのは核ではなく、その核が増殖し、無限に広がる可能性だ。核の拡散。しなやかに跳ね、跳ね返り、分裂する。広がり、覆い、空間を貪り、星をまたいで旅する――いっさいは核のまわりとあわいに。(pp.247)

アナイス・ニンの日記

アナイス・ニンの日記

 ここに紹介するのは『アナイス・ニンの日記』(矢口裕子編訳、水声社、2017)だ。ニンの日記の経緯からいうと、日記は『初期の日記』(第一巻)~第四巻までと、『アナイス・ニンの日記』第一巻から第七巻まで、実に六〇年以上に渡って記録・記載されたニンの人生そのものである。総ページは四万頁を軽く超えるという。それらの日記を編集し、訳しわけたのが本作ということになる。「アナイス・ニンの日記」と題された邦訳の既出本はいずれかの訳出であり、特に「アナイス・ニンの日記 第二巻」以降の訳出が今回初めてとなっているという(訳者解説より)。

 アナイス・ニンは、彼女自身が神秘のベールをまとった「水面下の存在」であった。そのあまりに華麗な美貌とスタイルも彼女の幻惑的な魅力を伝えているが、ニンは長らく躊躇っていたこの日記を出版することによって初めて日の目を浴びたそうである。それらの生々しい感覚と声が日記に綴られているのも本作の魅力だろう。
 とは言っても、日記以外にも彼女の小説はたくさん存在し、それらがどのように流通し、誰に読まれ、誰によって評価されたかなども、ニン自身の手によってこの「日記」のなかに軽やかに報告されている。
 『日記』に出てくる、あまりに豪華で巨大で劣悪な登場人物ときたら! ヘンリー・ミラー、アントナン・アルトーロレンス・ダレル、著名な精神分析家たち、そして江藤淳大江健三郎といった日本の作家も、ニンが老後で日本に旅行にきた際にちょこっと登場するのだから面白い。
 なかでも、ヘンリー・ミラーと彼の人生を大きく狂わせた(いい意味でも悪い意味でも)ジューンという女性とは、男女の三角関係、といってもニンは二人にとってあくまで良き友人として三人の親友関係を結んでいる。ジューンは途中で姿を消してしまうが、ヘンリー・ミラーとは長い親交を生涯にわたって結んでいる。結果的に言うと、ミラーの方が成功をはやくにおさめた。しかしそのミラーでさえ、売れてしまうと、かえって売れなかった頃の良き時代を思い出す始末……ヘンリーとアナイスがどこまでいってもお互いを尊敬し、尊重し合うという稀有な友情関係にグッとくるものがある。

 ニンは性と幻想に囚われていた。それは『日記』を読めば分かることだと思う。作品に書いて昇華せしめようとした動機づけもあれば、何人もの精神分析家に会って、結局彼らから恋された挙句、精神分析家自身を精神分析してあげるというわけのわからない展開も繰り返している(苦笑)。
 アナイス・ニンはどこまでいっても魅力の絶えない素晴らしい人だと僕は思った。というか誰でも思うに違いない。ここまで人格が整っているからこそ、作品でイマイチだったのかもしれないということは、本人が日記の中で書いていることである(どこだったか思い出せないけど)。ニンの感性は随一である。随一であるからこそ、ジューンの狂気にも同感できるし、ヘンリーの男性的暴力のことも理解できる。理解度が高すぎて、現実世界で色々気苦労を使ってしまい、それらの成果はすべてこの日記に捧げられた…… 『日記』は万人の喝采を浴びて当然である。

 本当に美しい。飾らない、それでいて何度も華麗な爆発を起こすような、そんな文章がある。それがアナイス・ニン、世界一の感性の作家だと思いました。

 よろこびと、いきいき生きることに、再びめざめる。太陽。ぬくもり。えもいわれぬ幸福感。お風呂に入る。水に触れるよろこび。白粉。香水。イタリア製のドレス。そこにいるのは誰? ドアを開けてちょうだい。家中がお祭り気分、歌っている。モックオレンジとスイカズラの香りがいっぱい。(pp.260)

 パンドラの箱とは、女の官能性をめぐる神秘のことだと思う。それは男とまるでちがうものだから、男の言葉で表現することはできない。セックスの言語はまだ発明されていない。感覚の言語はまだ探求されていない。D・H・ロレンスは本能に言葉を与えることを始めた。彼が臨床的・科学的な言語から逃れようとしたのは、それでは肉体が感じるものを捉えられないからだ。(pp.371)