書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

夢の中で死んだ鳥は現実(2)

 ところでバードたちはどうして世界の原初を、肉体を持たぬ概念としてのバードとして探索しているのか? 錘の肉体を持つにはまだはやいし、それに神は決めかねていた。そう、もちろんアダムとイヴ——〈愚かなるもの〉たちも神話体としてのそれであるし、彼らも彼らで透き通る輝いた身体を持っていたのである。透明な身体。それが、アダムとイヴが禁断の果実を食す前に有していた充実身体のことであった。しかし、彼らは蛇に危うくも唆されて不実の実を食べてしまったため、昏き紅い血の迸った実に下らぬ「肉体」というものを持たされたのである。つまりアダムとイヴはそれ以降己の肉欲にしたがい、子孫を残さないと世界の主人にはなれない条件が課された。アダムとイヴはそもそも完全体だったのか? 蛇に唆されるという危険性をいとも簡単に犯してしまったのに? 宇宙の神は選抜を決めかねていた。そこで人間には神秘的な透き通った身体を、そしてバードたちには概念化をほどこして、世界の歴史の主人公として何が——だれが相応しいのかを神は悩んでおられた。神は最初から悩める虚しい存在だったのである。あぁ、悩める神よ! 話を戻そう。バードたちは肉体を持たぬ概念化した存在として、人間たちとはまったく異なる〈自由〉の象徴を任されていた。その一つは飛翔する羽である。もちろん人間は羽を持つことができない。いちおう、人間は大地の主人公(農耕)であると言える。鳥は空の主人公だ。人間は天空の存在をその〈愚かさ〉のゆえに知らない。もちろん、バードたちは地球外をも自由に飛翔することができた。そしてバードたちは神から遣わされ、われらの地球に降り立ち、そこで〈美しきしらべ〉は、革命の兆しは、そう革命とはとりもなおさず〈新しき創造性のまったき生活〉のことであるのだから、革命の兆しの讃美歌を掬っていた。バードたちは革命者として遣わされたのである。自由と革命。自由による革命。革命のためには、完璧なる讃美歌と、一つの大胆な意志と、そして宗教理論の体系が必要であった。彼らはそこに、幾つかの布石――やがてそれらは、ヨーロッパの諸宗教の原石、中国の宗教、イスラムの諸宗教、インドの諸宗教、ゾロアスター教、そして様々な民族誕生の神話と理論という風に、〈愚かなるもの〉たちによって決定的に断片化されてしまうのだが、それらすべてはもともと唯一つの〈原宗教〉であった。鳥たちの宗教、鳥の宗教とはまさにこの〈原宗教〉、すなわち文字に具現された教典や言説などは持たぬ、概念の神秘としての原宗教であった。バードたちは森の薔薇に彩られた湖に集って、この原宗教の体系化を話し合っていたのである。そこに、「概念をも打ち壊す破壊の化身」としてのピストルがやってきた!