マルクス主義における疎外論と物象化論
何かためになる? 記事を書こうと思い、最近もっぱら創作作品を載せていたので、何かを解説するかのような体の記事を書きたいと思います。
1、疎外論とは
「疎外」という言葉は「疎外される」という受動態の形でたまに使われたりしますが、マルクスやマルクス主義哲学においてはいっていの意味を持ちます。
疎外、疎外されるとはどういうこと? wikipedeiaの説明を見ます。
疎外
哲学、経済学用語としての[1]疎外(そがい、独: Entfremdung、英: alienation)は、人間が作ったもの(商品・貨幣・制度など)が人間自身から離れ、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること。またそれによって、人間があるべき自己の本質を失う状態をいう。
ということなので、人間が作った生産品であるところの貨幣、商品、ひいては資本主義制度じたいが、人間を翻弄するようになることまでをも指すと言われています。
基本的に僕もこのラインで疎外論を理解していました。しかし最近、廣松渉の『今こそマルクスを読み返す』や『物象化論の構図』を読んだので、さらに敷衍することができます。
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特に、『物象化論の構図』の「物象化論」は、廣松さん自身が中心的に唱えた説であるように見受けられました。そこでは、ルカーチの疎外論をいったん批判し、自身の論理を持ってくるという流れでした。それを紹介します。
以下は、廣松渉『物象化論の構図』で説明されている事柄です。ルカーチというマルクス主義陣営の哲学者がいますが、ルカーチはこのマルクス哲学から「疎外論」を摘出して拡大して論じた人と言っていいと思います。ルカーチの疎外論の図式は、簡単に言うと以下のようになります。
A 原初状態(楽園)
B 人間が生産を開始し、人間社会は(疎外によって)悲劇に陥る (失楽園)
C A=楽園の状態に復帰するために、革命や社会救済が開始される (楽園の復活)
と、三段図式で説明が可能なようです。つまり、ルカーチによる疎外論は、人間が単に資本主義制度に呑み込まれて失楽園的な悲劇=資本社会に頽落することを指摘するだけでなく、後のレーニンやスターリンといった、社会主義、さらには共産主義による世界回復の物語までをも論じてしまうのです。
だからこういう点で、マルクスはそこまで言ってないとか、共産主義による革命を唱えたわけではない、とかいう話になってくるのでしょう。そこは大いに批判もできるポイントでしょう。
3、廣松の物象化論
さて、肝心の廣松渉はこれをどのように理論修正したかというと、僕にはよく分からないのです(爆弾)。 『物象化論の構図』というテクストは、長編の理論書ではなく、講演会のテキストや幾つかの論文をまとめて出版したものなので、その理論の核となるものが集中的に論じられているようにはどうしても思えませんでした。
それでも、廣松が物象化論という概念で語るときに、「錯視」という言葉を多用していました。
これはつまり、「物象化」というと、観念的なものが具象的なものへと転化する、みたいな意味合いをもってそうですが、廣松によるとポイントはそこにあるわけではないらしく、人間が商品を生産する=支配する → 商品によって人間は管理=支配されている というこの疎外論のポイントを批判したかったようにも思えるのです。つまり、ここからは僕の考えですが、廣松は、「資本主義制度に商品も人間も同列に置かれるかのようにして呑み込まれてしまう」「ように成り立ってしまう」ことを言いたかったのではないか。 廣松の疎外論批判は、結局、「資本主義制度と人間と商品の関係性」の厳密な批判(Q)と、「~のように成り立ってるようにみえる」ことへの批判(R)を探求したかったのではないかなと、僕は思います。結局それが、(Q)のちの『「資本論」を物象化論を視軸にして読む』や『資本論の哲学』というマルクス研究の継続と、(R)『新哲学入門』や『哲学入門一歩前』などによって論じられる「認識や存在」といった基礎概念の再検討、といった風に彼自身の研究が広がっていったのかなと思います。
4、終わりに
3の廣松の物象化論の理解は本人自身がぼかしているような感があるために僕も説明しづらかったのですが、大体書いたようなことでラインは外していないとは思います(要注意だけど)。 マルクスや廣松渉を読むための何かの参考になれば本当に幸いです。ありがとうございました。