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書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

(掌小説)虹を描く

 これだけでも掌篇として成立しているかな、と思い、載せました(続きを書いています)。

虹を描く 光枝初郎

 飛鳥は黒板に夢を描く。
 早朝。誰も居ない。このひと時、本当の朝一番に忍びこむようにして学校に入り、自分のクラスの教室に入ったとき、奥に座っている体格のいい寺尾くんや、目の細い西田さんも居ない、勿論担任だって先生だって居ない、零度の空気に包まれた椅子やゴミ箱が好きだ。教室に入りしな、よく目を閉じる。透明さが澄み渡っている気がする。これからの行為にもっと集中して取り組める、という気がする。飛鳥は自分の席につき、鞄を置くと、もう黒板の前に向かっている。今日は何を描こうか。
 獣人ルダの物語のつづきだ。
飛鳥が幼少の頃にほとんど何の理由もなく誕生し、ノートや教科書の端、プリントの裏、スケッチブック、広告、カレンダー紙などにその都度描かれてきた、半分が人間で半分が獣の獣人ルダは、ウシ科のバイソンをモチーフにしている。頭は左半分が逞しい角を持ったバイソンで、右半分がアメリカのインディアンをモデルにした優しい男性だ。男性の目は透明で、澄んだ輝きを持っている。上半身が人間で、尻尾も備えた下半身がバイソン。何故バイソンと人間が融合するに至ったかは、飛鳥の気ままで緻密な妄想力が後に伝えることだろう。
 獣人ルダは、自然と人間が織りなす――といってもほとんど暴力をけしかけるのは人間の方だが――悲劇の中、アメリカの森に生まれた。ルダは自身の出生に懸けられた役割を実行し、後にアメリカを離れてラテンアメリカの方まで旅をすることになっている。その完成図は飛鳥の頭の中にだけある。ルダは悲しい生き物だ。晩年に彼を待ち受けているのは、アメリカに帰ったとき、同族のバイソンたちが彼の故郷でほぼ絶滅しかかっているという現状だ。バイソンは昔から人間の食料や嗜好品として利用されてきたが、アメリカが国家として発展するに従い、乱獲や大量虐殺の数が膨れ上がったのである。獣人ルダはそんな世界を憂い、失意のままにこの世を去る。ルダもまた、人間が主君としてこの世界を跋扈するその体制に、怒りと反抗を企てた生き物なのだ。
 飛鳥は白と緑のチョークを片手に、次々と絵を描いていく――。メキシコの熱き砂漠を往くルダの絵だ。色んな高さのサボテンは、凛とした姿で描かれる。飛鳥は無心でチョークを曳いていく。ルダは旅の道中で毒を持った真っ黒いガラガラヘビに出会う。ガラガラヘビは巧みに自身の毒を隠したまま、ルダにこう話しかける。「お前はここの地の者か?」
 ルダ「いいや」
 ガラガラヘビ「ならば、俺のこの鱗を舐めるがよい。疲れを癒すだろう。私は旅をする者に良きガイドを与える者だ」

 ガラガラヘビはこう言ってルダを陥れようとするが、賢いルダは怪しみ、口頭戦を用いてその罠を回避するどころか、ガラガラヘビを改心させ自分の旅の仲間にする。
 自分の想像に惜しみなく浸っているときの飛鳥は、輝いている。そのことに気付くものは、本人も含めてまだ誰も居ない。
 黒板を二つに分ける。左半分は、ルダとガラガラヘビが口頭戦を仕掛けているところだ。台詞の英語を特徴ある字体で著したら、素敵な雑貨店のマグカップに描いてありそうな様子になり、飛鳥は気にいった。右半分は二人が和解した後の絵で、砂漠の地の先頭を行くルダに、ガラガラヘビが真っ直ぐ後をついている。
 そのガラガラヘビを描き終わったところで、ドンと後ろの扉を開ける音がし、思わず飛鳥は振り返る。学級員の、大和さんだ。よく知らないし、挨拶以外に話したこともないが、大和さんはいつも早くに学校に来る。
 「……おはよう」大和さんは鞄と体操着が入ったリュックを肩にかけて、訝しげそうに飛鳥の方を見た。
 「……おはよう」改めて飛鳥は黒板を振り返る。絵は出来た。八時十一分。もう他のクラスメートがそぞろにやってくる頃だ。飛鳥はスカートのポケットからスマートフォンを取り出し、教室の真ん中のところまで降りてから、黒板に描いた絵をパシャリと二、三枚撮った。
 大和さんはすでに席を立って、教室の外へ出ていた。飛鳥独りしか居ない。飛鳥は自分の席に座り、さきほど撮った黒板に描いた絵を眺めた。獣人ルダは、きりりとした表情で、いずれの絵でもガラガラヘビや旅の進行に対してしっかり立ち向かっている。そう、思えた。小さく吐息を吐いたあと、躊躇してから、黒板の方にゆっくり向かい、黒板消しを持って一気に緑色の画板を消しにかかった。

(了)