書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

迫害される狂人たち――排除型社会

 まずはじめに、「一般人」というものは実在しない。それは計算されるもの、計算上の数学的な概念でしかない。ところが、法律やルールなどの《法》は、この一般人を全ての基準にして道路を作ったり労働法を整備する。だからこそ《法》なぞはやけっぱちな産物に過ぎないのであり、真実味を欠いているのだ。法律がつまらないのはそのためだ。

 一般人と反対に、「特異者」という者がいる。これは実在する。特異者は実に不可思議なワールドに包まれている。フーコーの(『狂気の歴史』の)例を思い起こそう…… 天才、てんかん者、酒飲み、片腕を亡くした人、阿片中毒者、太りすぎの人、片眼をなくした人……これらは全ていっしょくたにされて「阿呆船」に乗せられ大いなる監禁を甘受しなければならなかったのである! そう、彼らは「狂人」というスティグマを(社会権力によって!)押され、やがてある面では犯罪者として構成され監獄にぶちこまれたり、他方では精神に異常をきたした者として療養施設に監禁されたりしたのである。

 おわかりだろう。このとき、邪魔者を目の届きにくい所に隠し、「クリーンで健全な社会」を目指すというくそあほらしい環境型管理権力社会が誕生したのだ。

 それは現在でも続いている。たとえば喫煙者が最新の例だ。煙草の喫煙は長い歴史の中で文化として定着し、時には健康器具としてすら作用したこともあった。現在、煙草は喫煙者とともに抹殺されようとしている局面にある。

 煙草の発する煙はそれを受動する者にとって有害であるという説が、激しい科学論争を経た後に、定説として勝利をあげた(科学の授権)。そして、煙草撲滅運動という社会運動が起こった(人心のコントロール)。同じくらいに、今度は医者が禁煙を治療や相談という形で推進しはじめた(医学による授権)。 そして最終的に、《法》が制定され、喫煙者はお店の外や隅っこで小さく隔離される分煙制度が誕生した。

 今はその分煙制度も終わろうとしている。完全なる禁煙の施工である。いつの日か、煙草は大麻や脱法ハーブといった犯罪になってしまう闇商品へと変貌をとげざるしかないのだろうか……?