書も積もりし

小説、哲学、雑感など。誤字・脱字が多いのが哀しい

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #2

一人で小説は書かないといけない、しかし本当にたった一人で小説を書くことはとても困難だ。

 巷には小説投稿サイトというのがいくつも流行っていて、何やら人気ランキングみたいなものを掲げているのもあるんだけど、そういうものを読んでも自分の書きたい純文学っぽいもの(ここでは敢えて純文学という言葉を使っているが、当時は純文学がどういうのかすら分かっていなかったのだから、まさに水の上を泳ぐ魚だ)が評価されたり話されたりするようなのってない…… というか、純文学っぽい投稿サイトはない。あったとしても、書いている人はほぼいない。仮にいたとしても、その人はなんだか無敵の論理と罵詈雑言をコメント欄と相互で吐いているのだ。

 投稿サイトは小説を書き始めた20歳のころからちょくちょく使っていたが、自分の作品のストック場という感じで、たんたんと書いていてもまず普通に読んでくれません。当たり前。労力のいる読み物をだれがわざわざ読むのか。

そこで僕は思いつく。文芸サークル…… 殊に、やたらファンタジーとライトノベルを書きたがる中学生たちではなく、大人の社会人文芸サークルはないものか、と。
 
それは読書会という形でなら大阪や東京には存在したが、僕の地元・岡山にそんなものが都合よくは現れなかった。

さらに僕は進路を取る。SNSで探してみてはどうだろう。個人でもいいし、何か、そういうサークルめいたもの……

そして調べて、気を抜いて、調べた後、あったのである。
webによる文芸同人団体。

「T fillハーモニーオーケストラ文芸団」

 音楽団体? 文芸団体?

判断に迷ったが、ツイッターのプロフィール欄にははっきりと「熱い同士をお待ちしています」という文字と、サイトへのリンクが示されてあった。
僕はこの奇妙な名前の団体、「Tfillハーモニーオーケストラ文芸団」をかくして知ることになった。この団体が基本的に僕を根本的に変え、期間X以後の僕、すなわち「文学的人間たるの僕」を作り上げた原型だったのだ。
Tfillハーモニーオーケストラ文芸団

 これはweb上での、つまりインターネットを介した文芸の同人団体の名称であるが、僕はここに2014年3月から2015年3月の一年間在籍することになった。今から振り返ってみれば、僕が単なる夢想家から少しでも高い壁を突破したいと本気で考えるようになる、その本気で考えるというかなり面倒な手続きのエネルギーを与えてくれたのがこの一年間だったといっても過言ではない。

Tfillハーモニーオーケストラ文芸団(Tフィルと略す)の「T」は、Twitterの「T」だった。つまり、TフィルはTwitterをメインに使っていた。三か月に一度「部誌」と呼ばれるweb上の雑誌を作るために、特集テーマを決め、それから原稿を募り、原稿の締め切りが来たら校正・推敲期間に入る。そして完成された作品がホームページ上やpdfファイルとして作成されるわけだ。
僕が所属した一年間の中でも、数えきれないメンバーが交流し、喧嘩し、笑い合い、出ていった。
その中でも、この物語において最低限必要なメンバーはそれなりにいる。名前をどうしようと思うのだが、Iさん(男、教員)、よるさん(女、不明)、ひるさん(男、大学生)、公房(男、大学生)、Oさん(男、建設業)、ヤケド(男、介護)、モー(男、会社員)、それから古井(男、不明)だ。

順を追って説明していこう。

IさんはTフィルの部長。しかし、この人は僕が所属していた間、現実の仕事に追われていて、コンタクトを個人的にとりはじめてから仲良くなったのは秋ごろだった。

ここで注意しなくてはならないのは、よる、ひる、公房、O、そして古井の「五人組」は、Tフィルの中にさらに下部組織「Anti-Literture」(反文学)を造っていた。彼らはおもにマルクス主義の哲学書やドイツ文学書を読みあい、読書会を一週間に一度行っていた。また、時としてメンバーが書いた短編作品の合評なども同時に行っていた。

最初にTフィルに入ったとき、作品を書く動機づけと、発表できる場が与えられただけでも、とても嬉しいと思った。特に、好きな作家などで話が通じる人も何人かいて(僕は当時それなりに村上春樹の長編作品などを読んでいたのと、哲学書をかじっていたので、だいたい哲学方面に詳しい人として措定された)、仲間がすぐにできた。

Tフィルでも、web雑誌に発表された各作品は時間をおいてから、メンバー同士で互いに読みあって、批評(感想、批判、称揚)をする。そのとき使っていたのは、PC上のSkypeのチャットやグループ会話だった。
 僕は、趣味を同じくする者同士の、主に夜から深夜にかけて行われるグループ会議というものの楽しさと罠にハマってしまったのである。

これらはまだ3月に入った頃だ。僕は次第に「反文学」の奴ら(の方が概して小説や哲学書を読んでいるし、書いているもののセンスもいい)に尊敬を覚えたり、憧れたり、文学や哲学の会話をすることが多くなった。僕はそのうち、「反文学」の読書会というグループ会議に参加していくこととなった。

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた#1

ラテンとスペインの血を僕はあの年に知っていた #1

これから、ある一定の期間における過去を簡潔に(といっても簡潔にはならないのだが)振り返ろうと思う。
 例えばその期間をXと呼ぶことにしよう。期間X以前の僕はどうだったかというと、大学を何回も留年し、普通に落ちぶれた、しかもあまり良くない遊びも覚えた大学生だったと言えよう。
 大学を中退して去ったのをキッカケに期間Xははじめられたわけだから、期間XないしX以後における僕の身分は「フリーター」と「ニート」を行ったり来たりする。定職にはついていない。それも後々明らかになる。ここには小説家を目指そうとして常に中途半端な努力しかしてこなかった情けない男のしがない20代の人生が語られるだろう。
 はじめから、血の凍るような、あるいは反転して血が滾るような、そういう形容を用いずにはいられない、「実存の叫び」--僕自身という存在の咆哮は、くぐもり、あけっぴろげられ、虐げられ、迷走し、空中分解するのである。
ただそれを振り返ってみるだけだ。

 この内容がうまくいけば外部ブログにも自分でコピペするつもりだが、やっぱりmixi日記というツールの、肩をはらなくてよい適度なプレッシャーだけを身に受けてこの文章を書き進めていきたい。

 とにかく、期間Xというのは、2014年の2月にはじまる。僕はいよいよ大学を中退し、手続きも足早に済ませ、親に来てもらって一人暮らしの机やら冷蔵庫やらを一気にまとめて地元に帰った。
 もちろん、とりあえずの就職先が目下の目標だったに違いない。しかし僕は並大抵の人間ではない。ある意味狂人だ。だから普通の就職先を普通に考えて就活しようとする意志のようなものがない。
 簡単に説明すると、僕はこのとき小説家として自分の人生をデザインする途はないかという最後の賭けのようなものを考えていたのである。
 僕の親は、僕が小さい頃から莫大なお金を学費と塾、そして習い事の定番であるピアノ教室代を払い続けた。
 おかげでちょこちょこ才能と呼ばれうるようなものには巡り合わせが良かったのかもしれないが、苦労の味も、挫折を乗り越える強きマインドネスのようなものも全く知らなかった。

 その男がまさか、大学、しかも4大をすら卒業できなかったら、基本的には無意味である。そう僕には思われた。確かに大学で学んだこと、というより大学の環境で学んださまざまな知識や本やゼミや経験はほんとうに素晴らしいものだったが、肝心の「卒業証書」なくしてはただただ泣き目を腫らすだけだ。僕は膨れ上がった頭の中で、次第にこう考えるようになった―――

僕のアイデンティティは知的活動であり、それを生きる(食べる+楽しむ)ことにつなげていくしかない。

音楽は鼻から対象にならなかった。僕のピアノはお粗末なものだし、ベースもバンド人間としてもアマチュアで十分だった。

小説を書く――そして、いつしか有名な小説家になる。僕の大好きな本。本を出版すること。
僕の亡くなった祖父は、還暦を迎えてから自費出版で自分の教師としての歩みを一冊の本にまとめた。10年もしないうちに祖父はなくなった。
 自分が死んだときに、何か世の中に形として残しておきたい。それを考えたときに僕がすぐイメージしたのは、本売り、というか、小説家になって小説や哲学書を書くことだった。

とりあえず、2014年の2月。 親には、コンビニのアルバイトか塾のアルバイトかの二択で迷っていると言っておいて、僕は小説をどうしようと思っていた。

最大の難点は、小説は一人で書くにはあまりに世界が広がらないという事だった。

森の神話学――大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』

 目次

 序章 M/T・生涯の地図の記号
 第一章 「壊す人」
 第二章 オシコメ、「復古運動」
 第三章 「自由時代」の終わり
 第四章 五十日戦争
 第五章 「森のフシギ」の音楽

 Wikipedeiaによると、この『M/Tと森のフシギの物語』はノーベル文学賞の検討に際しての参考作品の一つに挙げられているらしい。ノーベル賞の受賞理由は以下のとおりである。
”詩的な力によって想像的な世界を創りだした。その世界では生命と神話が凝縮されて、現代の人間の窮状を描く摩訶不思議な情景が形作られている。”

 この摩訶不思議な情景、世界というのは四国の森の世界であり、本作は大江の森体験における非常に重要な作品となっている。岩波文庫の本書の終わりには大江健三郎自身による解説めいた「語り方(ナラティヴ)の問題(一)」「語り方の問題(二)」というあとがきがついているのだが、まさに「語り」が重要なのである。

 本書は語り手「僕」によるですます調が用いられ、「僕」が森・村の昔話をポツポツと立体的に語っていくといった口調で語られていく。しかもそれは、祖母の実に奇怪に満ちた村の伝承にまつわる話を語り手の「僕」が幼少の頃を思い出しながら回想していく……という形をとっている。それは次のようである。

――とんとある話。あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば無かった事もあったにして聴かねばならぬ。よいか?
――うん!
 それは昔の実際にはなかったことを、話で語られるとおりに、それらのことはそのまま現実にあったと、過去を造り替えてしまう、そういう作業を行っていることではないか? 僕は漠然としか自分の心の中で言い表すことができない、しかし根強い恐れを抱くようになっていたのでした。

 そして祖母が明かす森と村にまつわる話は、第一章の「壊す人」や第二章のオシコメなど、摩訶不思議で面白い話ばかりである。「壊す人」はその昔、村を主導して基礎を作り上げた伝説的な人物(?)であるのだが、とにかく体が大きく、しかも死んでなおその存在を続けているという人知を超えた、「神話」ならではの存在でもある。オシコメは女性で、「壊す人」の女房役でもあり、「壊す人」が死んでからは代わって村を引っ張っていく、これまた体の大きい(それは普通人の十倍はあろうかという)神話的人物である。 このほかにも、メイスケさんと言われる人物など、森の伝承が祖母のリアルな語りと神話的人物たちのハチャメチャな活躍によってダイナミックに進んでいく。

 大江健三郎のあとがきと、岩波文庫の解説を書いた小野正嗣さんの分析を読めば分かるのだが、『M/Tと森のフシギの物語』は『同時代ゲーム』と話を同じくしていて、そうでありながら「語り方」や幾つかの挿話などにおいて、根本的に筆を書き改めたのがこの『M/Tと森のフシギの物語』だそうである。正直、登場人物たちの喋り方がうざったくて、後半になるにつれしんどい向きもあるが、終わりまで読んで、あとがきと解説を読むまでいくと救われた気持ちになるそんなつくりである(笑)

詩二つ

パレード

小人たちは歩く
歯の上 歯車の狭間
そこは 血塗れの
床と 受苦で満ち満ちている
痛みをさしだすのだ 薬に代えてやろう
熱を冷ますための
水滴 ひばりの声

小人たちは踊る
葉の上 樹海の森
水滴が 恍惚を含み
歌は讃えるものとなりて
るるるらら なんて きれい
夢の中を行くのだ 子供たちがいるだろう
光の子供たち
僕ら みんな 待望

痛みと石の上の
水の中のナイフ


(憧れ)

ヘンリー・ミラーのように
甘く 美しく おぞましく 皮肉にみちた
いろどりで
ことばを散りばめたのなら
この世に 新しい財宝が生まれる
だれも 彼のようにはなれないけど

ルイ=フェルディナン・セリーヌのように
黒く 不吉で 汚く 辛辣な
パッションで
沈黙さえも 文の一つさ
Hail! Hail! Hail!
彼を探し出すのだ
でも現代のセリーヌはどこにも見当たらない

交感し、交歓
あるいは ただの直進
彼らを出来させるのは
この手の上で あるいは
純粋な白紙のもとに
血の印を交わそう
文王の証し

不透明さという苦しみ――鹿島田真希『六〇〇〇度の愛』

六〇〇〇度の愛 (新潮文庫)

六〇〇〇度の愛 (新潮文庫)

 鹿島田真希さんは僕の好きな作家なのだが、色々苦労が多いみたいで、「六〇〇〇度の愛」では三島由紀夫賞を受賞しているが、これが出た年に芥川賞を受賞していないということはよっぽどの強作がその年の受賞作だったのだろうと推測している(調べてもいないが)。これよりも「冥途めぐり」の方がより水準が高いとは僕にはあまり思えないが、それほど素晴らしい作品だと僕は思った。

 鹿島田真希さんはある種の男性的な作家に毛嫌いされている気がする。ここでその作家の名前を挙げる気は毛頭ないが、Amazonのレビューを見るにしても的外れな低評価ばっかりでこれには本当にびっくりする。芥川賞を取ってもこの調子だからなおさらびっくりだ。
 しかしそんなことは作品に関係ない。僕は「六〇〇〇度の愛」が素晴らしいと思ったからこの作品を取り上げる。

 女は混沌を見つめている。なにか深刻で抽象的なことを思いついてしまいそうになり急いでそれを中止する。やがて我に返る。彼女は努力する。正気に返ろうとして。その努力は並大抵のものではない。表面に細かい泡ができては割れていく。
 ステンレス製の鍋の中ではカレーのルーが沸騰寸前にまで温められている。鍋はあと五分温めればいい。ルーは甘口になっている。子供のためだ。女と、健康で善良な夫と、できのいい人材になるのか、まだ将来が約束されていないほどの小さな子供。そんな三人のカレーだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 子供が女のスカートをつかむ。ママ、お腹空いたよ、そう言って。もうすぐできあがるわ、女は答える。お腹空いたよ、再び子供が言う。女は子供にゼリー、一口で食べられるほどの小さなゼリーを与える。子供はそれを吸い込む。
――鹿島田真希『六〇〇〇度の愛』(新潮社、単行本2005、文庫版2009)pp.6-7

 この作品では会話中においてすら一切のかぎかっこはない。地の文に台詞が回収されていく。冒頭から漂う緊張感は、この小説の終わりまでずっと続いていく。

冒頭の一文、「女は混沌を見つめている。」 それは視覚的にはカレーのルーなのだが、鍋の中でルーはふつふつと不機嫌に煮えていく。それが「混沌」という言葉で換喩されている。
 「六〇〇〇度の愛」は、「女」と呼ばれる主人公が逃避行で長崎に行き、そこで若い青年と出会ってしばしのラヴ・ロマンスを繰り広げる、戯曲めいた作品である。しかし、「女」の頭の中は兄の死をめぐる過去や、キリスト教をめぐる思考でまさに「混沌」としており、しかも会話文だろうが回想だろうがとにかく地の文と一体化して綴られていくので、この文章全体が「混沌」と化していくのだ。
 人間の思考はしばしば愚鈍である。愚鈍でありながら、断片的に幾つかの事物を想起していく。まるでのろまな亀のように、しかし重々しく、「女」は兄の死をめぐる出来事、自身の宗教体験、読んだ本の宗教的な場面などを巡っていく。

 「六〇〇〇度」というのはズバリ長崎に落とされた原爆の温度のことである。すべてが混沌としている中で、生活の中でギラギラと煮立つカレーのルーのようにか、あるいは長崎に落とされた原爆のように、夥しい熱と爆発が「女」の思考を愚鈍に取り巻く。「女」は青年と性交し、彼を愛し、彼に愛想を尽かしたりしながら、この不透明な苦しみの意味を引き延ばしていく。

たとえば「女」がドストエフスキーの作品を挙げて思考するのはこんな場面だ。

 ドストエフスキーの『白痴』。この白痴という言葉はユローディヴィのことを示しているといわれている。彼の作品には必ずユローディヴィが登場するようだ。例えば『罪と罰』ではラスコーリニコフの罪を被ってニコライという男が自首する。予審判事ポルフィーリイはこのことに対して、熱狂的な霊感を得る。『悪霊』では乞食のような修道僧チホンがあたかも聖人であるかのように一目おかれている。最後にはスタヴローギンですら彼の目の前で自らの罪を告白するが、この男は彼の中に未だ眠る傲慢を見抜く。
 東京復活大聖堂には佯狂者のイコンが一つだけある。聖アレクシイという。イコンを説明する古い地図にそう書いてあった。しかし一人の聖人を佯狂者と認定するのは、極めてナーヴァスな問題らしい。……(中略)……
 女の無意識のなかに悪意がわきあがる。愚か者がくれる赦し。その美的な価値を女は見極めてみたいと思う。
――『六〇〇〇度の愛』pp.114-5

 このように、ドストエフスキーのことを語ったり、「女」が過去に訪れた教会についての執拗な記述を巡りながら、「女」は煮え切らない、混沌とした苦しみから救済されたいと考えていく。

 物語の後半から、「女」と青年は長崎の大浦天主堂に訪れる。現実に原爆を落とされた長崎と、「女」の抽象的な思考が重なってより面白くなる。
最初の最初から始まった異様な緊張感を保ち続けていくというのは作品を書く上で非常に難しい事柄だ。しかし、鹿島田さんは一つも妥協していない。会話や回想を織り交ぜた文体にはまったく隙がない。

 そんなうえで、たとえばこんな一節が不意に出てきて、なんて美しいんだろう、て思わされる。この小説を読むことが、不透明な苦しみを生きることでもあり、答えの出ない日常からそっと抜け出して違う世界を体験することなのかもな、と思いました。

 河を照らすのは太陽。直視できないもの。その光線は黒い。兄が、世界が、凝固せず流れていくことの哀しみ。しらけてしまって涙すら出ない。発狂も、幻覚も、暴力もない。ただ漠然と憂鬱であるだけだ。そのあまりにも黒くまばゆい輝きを私は直視できずにいる。言葉。それは流れて私の手の届かないところへ行ってしまうもの。感情。それは直視できない光。生きることに必要なものは皆、私の前で否認されてしまう。私は考える。この河と光を抱えながらなにを話そう。誰を愛そう。だけど私は話しもするし、恋愛もする。狂ったり、死んだりするなんてもってのほかだ。臆病という日常。その生活は支離滅裂だ。思ってもいないことを言ってみたり、好きでもない男に告白してみたり。毎日がオペラ。荒唐無稽だ。
 私は時々、シーツの中に潜る。怖いのだ。いつか自分の日常を後悔することが。オペラのように生きてきた自分に軽蔑することが。そんな私を見て、誰かが、優しい人が心配する。シーツごしに私に触れる。私はその人のことを傷つけたくなる。
――『六〇〇〇度の愛』pp.108-9

 

晩年の晦渋さ――大江健三郎『晩年様式集』

晩年様式集 (講談社文庫)

晩年様式集 (講談社文庫)

 大江健三郎が2013年に発表した今のところの最新作『晩年様式集』がどんな小説であるか。冒頭部分の一節と、この小説の目次を引用してみよう。


 

 私は東京でも相当のものだった揺れに崩壊した書庫をノロノロ整頓しながら見つけていた、数年前店頭に積んであるのをひとまとめに購入した「丸善のダックノート」の残り一冊を膝に乗せて(それはダックという呼び名どおり無地のズック地で堅固に作られていて、いかにも老年の手仕事にふさわしい)、どうにも切実な徒然なるひまに、思い立つことを書き始めた。友人の遺書は"On Late Style"つまり「晩年の様式について」だが、私の方は「晩年の様式を生きるなかで」書き記す文章となるので、"In Late Stale"それもゆっくり方針を立ててではないから、幾つものスタイルの間を動いてのものになるだろう。そこで、「晩年様式集」として、ルビをふることにした。
――大江健三郎『晩年様式集』「前口上として」 文庫版(講談社、2017)pp.10


『晩年様式集』目次

前口上として
余震の続くなかで
三人の女たちによる別の話(一)
空の怪物が降りて来る
三人の女たちによる別の話(二)
アサが動き始める
三人の女たちによる別の話(三)
サンチョ・パンサの灰毛驢馬
三人の女たちによる別の話(四)
カタストロフィー委員会
死んだ者らの影が色濃くなる
「三人の女たち」がもう時はないと言い始める
溺死者を出したプレイ・チキン
魂たちの集まりに自殺者は加われるか?
五十年ぶりの「森のフシギ」の音楽
私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる。


 さて、大江健三郎は1994年にノーベル文学賞を受賞してから自身の文芸活動をいったん休止した後に復活し、それらの仕事をレイト・ワークすなわち晩年の仕事として自ら位置づけた。『晩年様式集』はそんな「レイト・ワーク」の総決算的な作品だとも言える。引用で示した冒頭部分に『晩年様式集』と銘うった作品がどのような経緯で書かれていったかがいきなり明らかにされ、その名前の付け方を見るにしてもいちいちカッコいいというか、大江健三郎は作品の名前を付けるのが異様にカッコよい。それは哲学者が自分の著作の中で独自の概念を命名しゆっくり練り上げていく過程とそっくりなのである。
 僕は、大江健三郎氏がある種の言葉づくりにこだわるのは、そういった哲学者による哲学概念の創出と同じであると思う。大江氏はしばしば自身の小説の中でまったく新しい世界や新しい視点を提示する。『晩年様式集』自体がそんなこれまでとは異なった視点や世界観の提示への挑戦だと言ってもよいのだ。

 さて、まずは冒頭の引用文章である。

「私は東京でも相当のものだった揺れに崩壊した書庫をノロノロ整頓しながら見つけていた、……」

 この「相当なものだった揺れ」というのは2011年に起こった東日本大震災であり、まさにこの地震原発被災に他の文芸人と同じくしてか独自にか、大江氏が非常に影響を受けたことが窺い知れる。ちなみに、『晩年様式集』での主人公は「長江古義人(チョウコウ・コギト)」という非常に面白い名前で、大江の「江」と長江の「江」がリンクしていることからも推測できるように、作家としての大江健三郎自身に非常に良く似た人物が語っているという程になる。

 実際、物語は自分自身を諧謔するというか、大江氏自身の人生を自らパロディ化して、現実と仮想をめちゃくちゃに融合させるといった非常に難解なものになっている。目次の「三人の女たちによる話」というのは長江古義人の妻や近親者(オセッチャン、アサチャン等という、大江文学に馴染みのある人なら分かるあの人たちである)が長江に向けて直接非難や批判をする文章をそのまま載せるという、一見意味の分からないパートだ。三人の女たちによる厳しい批判・非難は作品上の長江を超えて、現実の大江氏自身を厳しく揶揄したものだとも受け取れる。

 先ほども言ったように長江古義人の人生は大江健三郎の人生に酷似しており、「空の怪物アグイー」や「万延元年のフットボール」といった大江健三郎が現実に出した小説をそっくりそのまま過去に出しているのだ。 そして、「空の怪物が降りて来る」という章はそのまま小説「空の怪物アグイー」をめぐって長江と長江の長男の光が対立をする話である。「三人の女」のパートも、長江が過去に発表してきた私小説群をめぐって、「あの小説では私を揶揄してこんな登場人物を出しましたけれども……」といった、身内の喧嘩話みたいなものを延々と聞かされる。

 実際、晦渋に晦渋を極めた構成ともなっており、いったい大江は何がしたいんだととてもイライラする小説でもある(笑) それくらい話は込み合っており、大江健三郎の小説を読んだことのない人には絶対にオススメできない。少なくとも彼の代表作を一つか二つか読まないとついていくことすら辛い、まさに『晩年様式集』なのである。

と、ストーリーを追いかけているうちは非常に辛いものもあるのだが、たとえば「空の怪物アグイー」を読んだことのある人はこの短編集の裏話を知れる、もしくはあの世界観の延長戦を見ているようで非常に面白いところもある。大江のファンならではの楽しみ方といったところだろうか。

そして、『晩年様式集』はなんといっても文体=styleが新しい。

「……数年前店頭に積んであるのをひとまとめに購入した「丸善のダックノート」の残り一冊を膝に乗せて(それはダックという呼び名どおり無地のズック地で堅固に作られていて、いかにも老年の手仕事にふさわしい)、どうにも切実な徒然なるひまに、思い立つことを書き始めた。友人の遺書は"On Late Style"つまり「晩年の様式について」だが、私の方は「晩年の様式を生きるなかで」書き記す文章となるので、"In Late Stale"それもゆっくり方針を立ててではないから、幾つものスタイルの間を動いてのものになるだろう。そこで、「晩年様式集」として、ルビをふることにした。」

 カッコ付け、英語やラテン語、ルビ降り、引用など様々な文学上の手法を総集めにしたもの、「言葉そのもの」を大江氏の手際によって味わっているかのような感覚に陥る。 ここで、ストーリー上の晦渋さと文体上の晦渋さがリンクし、いったい何が本の中で起こってるのか容易には把握できない、というか大江さん自身も把握していないんじゃないかという位の現象が起こっているのだ。

 書店で見かけたら一度手に取ってパラパラめくってみてほしい。「何か惹かれるものがある」と感じた人は、彼の晦渋さの極みに挑戦意欲を覚える野心溢れる読者に違いない。

P.S. 最終章の「私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる。」 という章。この文章だけで感動を覚えないだろうか。実際物語は感動的に締めくくられる。私は再開できない。しかし、「私ら」ならば……。 この章の意味を読み解くことが、大江が大震災以降にたどり着いた答えの一つである。こういう所にも僕は拍手を送りたい。

法学から見た世界#1 憲法1

今回は僕が大学のとき法律学をかじっていたにも関わらず当時買っていた教科書はいまや散乱し、勿体ないままだと思ったのでもう一度教科書を読みながら復習したり法学を通して論理的な思考を鍛え、他の学問知識からのアプローチも少しできたらいいなと思ってはじめます。
 といっても気ままやっていきたいので学問的な厳密さにはキビしいところがあると思いますがもしひどいことを言っていたら忌憚なくコメントなどで指摘をくださればありがたいです。

 二日前から実家に散乱していた教科書群を整理し(笑)、とりあえず憲法民事訴訟法の教科書最初から最後までいちおう読み直してみようかなあと思っているところです。

#1は憲法学。
テキストは

 長谷部恭男憲法』(第四版)
憲法 (新法学ライブラリ)

 これは今現在第六版まで出ているのですね。さすがに研究者に近しい大学の関係者とかじゃないと、今回はこの部分の記述が大幅に追加されたからとかいう情報は全然分からないですが、基本的に版がたしょう古くても憲法の本質をきっちり掴んでおきたい程度なので、第四版だろうがきちんと勉強させて頂きます。

 憲法の教科書と呼ばれる書籍はそれこそ何冊もあり、学生としては何を選んだらよいかというのが一つの悩ましいところ。僕は憲法講義では3つか4つくらいの教科書の中から選ぶとよいと先生に言われたのが、まぁまずは芦部本、それから二冊のガッツリしたものとしての四人本(以下参照)、

憲法1 第5版

憲法1 第5版

それから樋口陽一先生の本でした。
憲法

 講義の先生(の名前は伏せさせてもらいますが)の説明いわく樋口先生の教科書はとてもいい意味でクラシカルであり、読みごたえがある。決して詳しくないかもしれないが本質的なことが随所に書いてあるみたいな紹介のされ方で直感でこの人の教科書が良さそうだなと思って選んでました。もう今はボロボロとなっていますがまたいつでも読み直したいなぁ。


 さて長谷部本、今日は序盤の序盤、「憲法とは何か」的なところ(pp.22、章立てだと1-1-4)くらいまでのところしか読んでいません。

しかしのっけのところから長谷部節が全開、他の教科書では見られないような論理付けが視点があると思いました。それは憲法のいちおうの正統性の記述です。

 通常の理解、あるいは定説とされてきた芦部先生の本では、憲法が政府を縛り国民の権利と義務の基本を制定するというのは自由民主主義政治との関連から理論づけていたと思います。しかし長谷部先生はその民主主義うんぬんは使わない。
 自由民主主義は第二次世界大戦を経て日本のみならずアメリカや西洋など広範にわたる諸国の基本原理となったきらいがありますが、やはりそれでも政治体制としては一つの立場というところがあり、もし今後日本が違う原理にもとづく政治体制にすすんでいった場合、芦部先生の理論づけでは対応ができません。実際に現在の安倍政権は自由民主主義からみると甚だしく逸脱している動きがあるので、それもあって憲法改正がこれまでになく国政の大きな争点になっているのでしょうが。

 長谷部先生は、憲法憲法であるためのポイントを3つに分けて説明していました。

(1) 公共財のサービス&徴収  

 つまるところ政府は国民に電気や社会保障、その他もろもろのライフラインを最低限確保しなければならない。これは基本的人権の尊重という条文からも内在的に強く論理づけられていますが…… そのライフラインを支給するために、税金という形で必要経費を国民から平等に徴収する必要がある、というものです。
 もし政府という存在がなくても日本の社会状態を想定することはできますが、そのような社会契約(ホッブズ、ルソー、カント、ヒュームなど)以前の状態ではひとりひとりの経済状態や生命の危機などにおいて的確に守ることは不可能であろう。 よって社会契約をなして、最低限のライフラインを国民全員に支給し、そのためのお金を国民から徴収してサイクルを回す、といった感じでしょうか。この説明だと、ルソーの社会契約の概念に依拠しているのかなとおもいます。

(2) 公共財のサービス以外にも政府がやることがある、それは調整問題だ、というものです。道路は左側通行にするか、右側通行にするか、それ自体はどっちでもよいのだがどっちか一つに決めておかないと道路状況がむちゃくちゃになるから、あえて政府がこれ!と決めておいて、あとはみんなに守ってもらえれば社会が回る、というものです。そのために道路交通法という法律を制定しなければならず、それには政府の授権、法律を制定するパワーが与えられる/認めてもよい、という考え方になると思います。

そして
(3) 政府の力の限界、個人の尊厳

 (1)(2)の仕事のために政府はその力量を発揮するわけですが、それが無制限だといけない。なぜいけないかというと、われわれ個人には何人たりにも侵害されてはならない自由で不可侵な、つまり大切な領域があるからです。 いくら政府が国政管理のために土地を収用するからといってその土地に住んでいた人たちのその後の生活はぜったいに侵害されてはなりません。そのようなことが簡単にできないようにしておくことと、仮にやむをえない理由で政府が土地収用に踏み切ったとしても、たとえばその土地を立ち退かなければならない人は損失補償という形で直接政府に請求できる(国家賠償法、損失補償)という制度にしておけばいちおう安心だろう。

 ということで政府の力には限界があり、それは歴史の流れが到達した立憲自由主義的な思想、すなわち個人の尊厳という最大の原理があるからだ、といえます。(3)が大事です。

 まとめると、政府は(2)調整問題や(1)公共財のサービスのために費用を国民から徴収したり権威的に法律を制定したりすることがあるけれども、(3)しかしそれは個人の尊厳を決して損なわない限りにおいてなされなければならない、ということです。このことを長谷部先生は憲法の本質とみています。

 憲法憲法たるゆえん、つまり「憲法の本質」という問題でしたが、民主主義制度の理論を見事に回避し、すごくスッキリした説明で見事だな~と思いました。長谷部先生の調整問題の話はいつも好きです(笑)

#1はここまで。